たのしい教師生活

高校教員7年目、地歴公民科担当。「たのしい」教師生活にするべく日々奮闘中。

泡沫の夢

月曜日から金曜日まで6時間授業+部活という「日常」を送ってきたが、うたかたの夢であった。

私の勤務する自治体では、来週から5月6日(ゴールデンウイーク最終日)まで臨時休校となった。

3月の臨時休校とちがって、原則として職員以外は校舎内立ち入り禁止である。3年生の担任なので進路面談の要望があればやるのだが、それも玄関先で、とのことだ。

 

授業日数としては9日分。2単位の授業は4時間分、3単位の授業は6時間分補わなければならない。

今年度の持ち科目「政治・経済」「倫理」は、まだ授業開きとレディネス・チェックぐらいしかできていない。まだ教科書の中身に入っていないので、問題集やプリントをやっておきなさい、という課題も出しづらい。

「教科書を見ながらやっておきなさい」でもよいのだが、「政治・経済」の冒頭の国家権力の話と法の支配の話は丁寧に深めてやっておきたい(ここをきちんと押さえておかないとそのあとの日本国憲法やら統治機構の話につながっていかない)し、「倫理」も初学者の生徒たちに「ただ暗記科目だ」と勘違いされても困る。

 

なので、授業動画の配信をするつもりだ。

iPadで撮影して編集、youtubeに限定公開でやってみようと思う。生徒の中にはタブレットやPCがなかったり通信料の関係で視聴が難しい人もいるだろうから、それはDVDにデータを焼けばいい。

来週からできるよう、準備を進めている。

 

結局のところ…

今週は、6時間授業が5日。要は、「フツー」の学校生活に戻った。

あれだけ臨時休校が続き時間はたっぷりあったはずなのに、いざ学校が始まってみると、帰宅時間は油断すると8時・9時、、、

 

「もっと休みがあれば」「もっと時間があれば」「もっとゆとりがあれば」

これらはすべて幻だった(笑)結局のところ、普段から「定時で帰るにはどうすればよいか」を追求して仕事するしかない。

 

残りの教員生活30年を過ごすにあたって、大切なことに気づくことができた。

大きな収穫だ。

正常性バイアス?

私の学校は休校になる気配もなく、50分授業を6時間やり、部活動も通常通り行っている。

 

私の学校のある地域はバスしかなく、生徒の登校手段は自家用車の送迎が多い。それに、感染者は2月に数名出た程度でその後は出ていないエリアである。

 

だからこそフツーにやっても大丈夫なような気がしてしまうのだが。。。

逆に言うと、誰かが感染していたら「即アウト」である。

 

手洗いは徹底させているが、その手洗いの順番待ちで「密集・密接」が発生する。「手洗いクラスター」が発生してもおかしくない。

昼食も「机を合わせず前をむいて食べる」という指示を出し生徒もそれを守ってはいるが、ではおしゃべりをしていないかと言うと…???

 

茨城県の高校生が「ストライキ」を起こしたことが全県休校につながった、という記事を読んだが、我々教職員も、感染者を出さないよう声を上げ続けるしかない。

本当の力量

こういう緊急時に、本当の力量が現れる。

 

…というのは、政治家に限らない。学校で言えば、「上に立つ人」はそれぞれ力量が問われる。

管理職は、教員集団に。部長・主任はそこに所属している教員に。そして、担任・顧問は受け持っている生徒・保護者に。

 

どれだけ教育委員会の通知を精緻に読み取り、学校の活動でできることとできないことの峻別を適切に行っているのか。

実際に生徒や保護者に対応する立場である担任や顧問が、仕事をしやすいようにーたとえば、「説明責任」を果たしやすくなるとか、納得感を醸成しやすくなるとかーという発想で全体の仕組みを構築できるかどうか。

子どもやその後ろにいる保護者は何が不安か、何が知りたいかを汲み取り、それを踏まえて連絡を適切に回せるかどうか。

 

そういう各人の力量が、よ〜く見えた1ヶ月だった。

 

ここからは、「感染者を出したらゲームオーバー」である。

学校の教育活動は、「後ろ向き」な発想で仕事を考え始めるととたんに憂鬱なものと化す。このような状況であっても、「窮屈さ」を出さないようにできればよい。

矛盾した状況の中でこそ、新しいものが生まれる。とでも思っておかないと、こちらがやられてしまう。

 

 

入学式 保護者参加なし

文部科学省からの通知を踏まえると、入学式は卒業式同様保護者参加なしとなるようだ。


しかし、卒業式に保護者参加なしということと入学式に保護者参加なしということでは、その意味がまったく異なる。


入学式では、教務部長や生徒指導部長からの説明がある。たとえば義務教育と違って欠課時数によっては履修不認定があり得るとか、、、入学式は、学校から保護者に重要な情報を直接伝える貴重な機会だ。


そして、入学式にしか姿を見せない保護者がいる…特にいわゆる「困難校」では。そういう意味では、入学式というのはなかなか連絡がつかない保護者と担任・学校が「つながる」機会でもある。


別に「フツー」の保護者であっても、PTA総会などに積極的に参加するとは限らない。入学式以外では保護者面談…多くても年2回ぐらいしか会う機会はない。

だから、自分がどういう教師なのか、どういうことを大切にして子どもたちに接していくのか、これを直接伝えられるのは入学式しかない。「百聞は一見に如かず」で、入学式でその場にいる保護者に語る方が、学級通信で語る(もちろんこれも大事な要素だが)よりも絶対にいい。


それに、保護者は自分の子どもの「担任像」を子どもから伝え聞いた情報で形成していく。イヤな想像だが(そしてよくある話だが)、もし子どもが自分にとって都合のいい情報しか保護者に言わなければ、「自分の子ども=我が家にとっての敵」という担任像が形成されてしまう。

だが、入学式で直接保護者に語りかけていれば、「担任像」はもう少しマシなものになるかもしれない。


こういう具合で、入学式には相当な意義がある。入学式に保護者が参加するのは、ただ祝うためではないのだ。入学式に保護者が参加できないのは、いろんな意味で「痛恨の極み」だ。


次年度の学級経営・学校経営は、相当な困難が出てくる…そんな予感がしてしまう。

スマホなしの生活

今日は、スマホを家に忘れて行ってしまった。

「緊急の連絡が入ってたらどうしよう」なんて最初のうちは心配だったが、ないならないで案外平気なもので、帰宅するまで12時間ほど触らないこととなった。

 

「物理的に」使用できなくする、というのはスマホ絶ちによいかもしれない。生徒に今度提案してみようか。

姿勢矯正ベルト

猫背を矯正するための「姿勢矯正ベルト」をつけたら、だいぶ効果がある。

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もともとカイロプラクティックに1ヶ月に1回ぐらい通っているが、やはり「普段、自分でどれだけ意識できるかが大事」と言われる。

私の場合、肩の位置が明らかに前にずれているから、それを正しい位置に持ってきたときの感覚を覚えましょう、という話になる。

しかし、いかんせん長年の悪癖であるから日常の生活動作のなかでどうしても姿勢が崩れてしまう。

 

そこで、リンクにある姿勢矯正ベルトを買ってみた次第。

特に体が痛くなるわけでもなく、無理なく肩の位置が正しいところに置かれる感じがする。

驚いたのが、深く息が吸えるようになったことだ。

カイロプラクティックの先生にも「姿勢が良くなると、呼吸がもっと楽になるんですけどねー」と言われていたが、正直その感覚はわからなかった。

だが、このベルトをつけていると明らかに楽に深く吸えているのだ。

呼吸が楽になると、疲労回復も早くなるらしい(酸素の吸収効率がよくなるからか?)。

 

しばらく続けてみようと思う。