たのしい教師生活

高校教員7年目、地歴公民科担当。「たのしい」教師生活にするべく日々奮闘中。

授業における「問い」っていったいぜんたい何なのかねぇ?

11月に行われる公的な研修会で、授業実践について発表することになった。

先日、教育委員会の担当の方と打ち合わせを持ったが、テーマは「新学習指導要領で求められる授業」とのこと。もう少し具体的に言えば、「地理総合」「歴史総合」「公共」といった新設科目の授業をどう作っていけばよいか、ということだ。
打ち合わせの中で盛んに出てきたキーワードが「問い」。「新学習指導要領の解説にも問いが示されていて〜」と担当主事が言っていたので、さてさてどんな感じだったかね、と久しぶりに学習指導要領解説「公民編」を開いてみた。

結論としては、「問い」という言葉がキケンな言葉であるということがよくわかった。
学習指導要領解説ではいろんな「問い」なるものが示されているが、たとえば下のような感じである。*1

我が国が軍縮に向けて不断に努力するためには,どのようなことが大切か
国際平和を推進し人類の福祉の向上を目指すためにはどのような国際貢献が考えられるか,
持続可能な国際社会を形成するために私たちは何ができるか

うーむ、これが「問い」だとしたら、すでにこれまでの教科書に示されているし、そもそもこのままでは生徒が追求したくなるような「問い」にはなっていない。
どうも私自身が考えていた「問い」と、主事様が話していた「問い」は別物であるようだ。
手元にある新学習指導要領の解説本によると、「問い」とは「学習課題(学習問題)や教師の発問」とされている。*2
しかし、学習課題と発問を並列にしてよいのか、という疑問も湧くし、そもそも課題と問題のちがいは何だろうとも思う。
しかもしかも、学習指導要領解説「公民編」では「現実社会の諸課題に関わる具体的な学習上の課題を「主題」として示すこととした」*3とある。うーむ、課題・問題・主題と3つも並んでしまった。

こういう言葉の定義を固めておかないと、発表した後の討議もすれ違いに終わってしまう可能性がある。
単元なり1時間の授業なりで扱う内容を示す「問い」(藤岡信勝氏が言う所の「教育内容」と言ってもよいかもしれない)のことなのか、授業中の発問のことなのか、混同したままでは議論しても話がお互い噛み合わないだろう。

2年前、修士論文執筆中に指導教員に言われたのは「博士課程に行くなら、自分の修士論文を改めて精査し直すことで最初の論文のタネが生まれる」という趣旨のことを言われた。
論文ほどかっちりしてはいないが、修士論文を精査するいい機会だ。
久しぶりに頭が研究モードになりそうだ。

*1:学習指導要領解説「公民編」p.65

*2:澤井陽介『[図解]授業づくりの設計図』東洋館出版社, 2020 p.88

*3:学習指導要領解説「公民編」p.50