たのしい教師生活

高校教員7年目、地歴公民科担当。「たのしい」教師生活にするべく日々奮闘中。

心理学の匂い

1.「現代社会」は、フロイト防衛機制やら心の三層構造やら。高校の授業で扱う中でも心理学の匂いがする部分で、「お好きな生徒にはたまらない」感じの授業だったようだ。

 

2.「風の谷のナウシカ」を授業で見せる。「環境問題」の単元の一環。視点を定めるだけで、見方が変わる生徒もいるようだ。

 

3.今週は自習監督等もあり、週21コマ。高校にしては多すぎる。早く明日が終わればいい。そうすれば週末だ。土曜講習があるから日曜日しか休めないが…

コメントシート

1.「現代社会」の生命倫理の授業のコメントシートを見返していたら、「これまでにない社会科の授業で、はじめて社会が楽しいと思えた」というコメントがあった。

この生徒は高3なので、小学3年生からこれまで10年間「社会科」を勉強してきている。「はじめて」楽しいと思えた、という言葉にとてつもない重みを感じる(そのうち高1・高2は自分が教科担任だったから、なおさら…)。

 

2.私の生命倫理の授業はさまざまな事例を紹介した上で、「あなたなら、どうしますか?」というオープン・エンド型。そして、「俺にも答えはわからない。俺も悩んでる」ということも正直に言う。

自分の免許証の裏面を見せる。「臓器移植」の意思表示欄、何も書いていない。私も悩んでいるから。

その上で、新聞記事を使って臓器移植は「本人の意思が不明だが家族が承諾する」ケースが半数以上を占めることを確認する。

「自分の大切な人が脳死になったら…どうする?」

コメントシートには、「本人が承諾していても家族が拒否したらどうなるのですか?」という質問が複数。調べると、その場合は移植は行われない。つまり、もし臓器提供をしたいのならそれを家族に伝えておく必要があるということだ…こういう質問への回答を積み重ねると、生徒はどんどん質問してくる。

 

3.テスト問題作成。今回は5科目。明日の分を今日の夕方作り終える、自転車操業。ミスがなければいいのだが。

崩壊?

1.生徒の荒れに、教員が追いつかない。そして、余裕がなくなる。それを見た生徒たちは、さらに荒れる。悪循環。

 

2.今日の「青年期」の授業は、今までの授業の中で一番うまくいったかもしれない。寝ている生徒がいなかった…(笑)

3年連続で教えている現代社会は、「伝えたい内容」がすでに頭に入っている。きっとそれが良いのだと思う。

 

いきものがかり「YELL」の1番を聞かせる。

・「今日の授業の目標は、この曲の歌詞を理解することです。」と言いながら、「自分は大人?それとも子ども?」という問いに、自分の意見を書かせる。

・ルソー『エミール』の一部を、教科書で確認する。

・青年期は、動物には存在しない時期である(=青年期を理解することは人間を理解するヒントになる)ことを確認する。また、「いろいろできるのにしない」という「不思議な」時期であることを押さえる。

・周りの大人や社会に反発する(第二反抗期*1)ことで、自らの世界観・人生観を形成する契機となることを気付かせる(=あまりにハードな反発はともかく、周囲に疑いの目を持てることは

「発達」している証拠である)。

・ルソー「第二の誕生」、レヴィン「マージナル・マン」といった話から、心理的な不安定さが生じることは至極真っ当であることを伝える。

 

3.辛い時こそ、しかと前を向き続けるしかない。生徒は逃げない。そんなことを、ストロングチューハイを飲みながら思う。まだ火曜日なのに、ひたすら飲んでいる。どうしようもない…(笑)

*1:そもそも、この第二反抗期が存在しない人も多いことに触れる

高体連

昨日今日と、高体連で出張。

「外の空気」を吸うだけで、心が健康になる。

 

試合までの待機時間に、名越康文『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』を再読。

慈悲の心を実現するには「戯れる」ことこそが必要、との言葉に、教師として生きる自分へのヒントを感じ取る。

 

授業もまさしく、生徒との「戯れ」でいいのだと最近思う。その中で、彼ら/彼女らはきっと学んでいくのだ。

堀裕嗣は、教師が上機嫌で生徒の前にいることの教育効果は計り知れないという。「戯れる」ためには、こちらの余裕が必要だ。

 

私は、倫理の授業が好きだ。自分への示唆を与えてくれるからだ。

その中でも、キリスト教よりは仏教の方が好きだ。「あなたはこうすべきだ」という指針をより与えてくれるから。

 

教師力ピラミッド 毎日の仕事を劇的に変える40の鉄則

教師力ピラミッド 毎日の仕事を劇的に変える40の鉄則

 

 

 

 

「わからなさ」を大切に

土日のどちらかで出勤して教材研究をしようと思ったが、結局両日とも家に引きこもってしまった。

ゴールデンウイーク明けから、7時出勤・20時30分退勤が常態化している。部活がほぼ活動していないから土日は休めているが、それでもしんどい。

かろうじてアスパラと舞茸を炒める。料理をすると、なぜか気持ちが楽になる。

 

先週は、自分がよくわかっていないことを教えても生徒は混乱するだけ、というのを痛感した1週間。

「政治・経済」の授業を経済から始めたのは、ある意味正解だったかもしれない。ここまでわからないことが多かったとは思わなかった。

職場の再任用の先生が「俺、もっと勉強しないとなー」と言うのを聞いて、いつまでも「わからないこと」を見つけられることは教師の職能において重要なものだろう、と思う。「わからなさ」を追究するなかに、いい授業が生まれてくるはずだから。

インセンティブ

授業は2コマ連続のNIE。

「今村大臣辞任」のニュースについて、トクダネとミヤネ屋を見せた後に新聞1面記事の読み取り。

思いのほか熱心にやっていた。新聞を読める、というのはインセンティブになっているのかもしれない。

 

今日は仕事の歩留まりも悪く、もっぱら生徒情報の交換。これはこれで、後々生きて来るはずだ。

 

明日の授業は「日本の原子力発電」。震災から6年、「福島第一原発の問題」と言ってもピンとこなくなってきた生徒たちに、少しでもわかりやすく伝わればいい。

 

 

福島第一原発廃炉図鑑

福島第一原発廃炉図鑑

 

 

なんてこともない

今日は、NIEの授業が2コマと倫理。

NIEの方は、一人一つずつ新聞を渡し、それぞれの面の見出しや簡単な内容の要約。夢中になって50分取り組んでいた。「ホンモノ」と出会わせるのは、やはりいい。

 

倫理はプラトンの思想。イデア論は「そんなものあるわけないじゃん」という生徒のつぶやきを拾いながら。と言っても、自分がよくわかっていない(納得していない)で説明しているので、それが伝わってしまう。生徒が混乱してしまったかもしれない。

 

ホームルームは、生徒総会の議案書審議。予算案のあたりで少し盛り上がる。「君たちの意見は思っているよりも『ごもっとも』だから、口にしてみるといいよ」とコメントする。

 

放課後は職員会議、教材研究。

自習に来た生徒に対応しながら、理系進学者指導の難しさを感じる。4単位の「化学」「生物」は、現役生にとってハードルが高いように思う。

進学校は、そこらへんの教育課程を上手にやっているのだろうが、「科学と人間生活」を置いている本校では、まったくうまくいっていない…

 

遅くまで残っていた先生とカレーを食べに行っておしゃべり。愚痴を言えているうちは、まだまだ大丈夫だろう(言えなくなったときは…)。

 

家に帰ってきて読書。迷ったときにはこの本に帰ってきてしまう。

「教えられてしまうことはつまらないことなのである。」

藤岡信勝『授業づくりの発想』日本書籍, 1989, p.48