高体連
昨日今日と、高体連で出張。
「外の空気」を吸うだけで、心が健康になる。
試合までの待機時間に、名越康文『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』を再読。
慈悲の心を実現するには「戯れる」ことこそが必要、との言葉に、教師として生きる自分へのヒントを感じ取る。
授業もまさしく、生徒との「戯れ」でいいのだと最近思う。その中で、彼ら/彼女らはきっと学んでいくのだ。
堀裕嗣は、教師が上機嫌で生徒の前にいることの教育効果は計り知れないという。「戯れる」ためには、こちらの余裕が必要だ。
私は、倫理の授業が好きだ。自分への示唆を与えてくれるからだ。
その中でも、キリスト教よりは仏教の方が好きだ。「あなたはこうすべきだ」という指針をより与えてくれるから。