「明後日の思想」
堀裕嗣氏の著作には毎回ハッとさせられる記述があるのだが、その中でも自分に最も影響を与えているのが「明後日の思想」である。
「あの失敗があったからこそ、いまの僕がある。あの経験は必要だったんだ」
三年後、五年後、教師を続ける自分は、こんなふうに現在の出来事を振り返っているかもしれない。「いまだけ」に縛られるとこんなふうには考えられない。
堀裕嗣『よくわかる学校現場の教育原理』明治図書, 2015 p.28
今日どうなるかでも、明日どうなるかでもなく、この、「三年後、五年後、教師を続ける自分」を想像するのが大事なのだ。
異動するぐらいの年数になって、「明後日の思想」の大事さをさらに噛みしめている。
こんなことを書くのも、今日まさに「明後日の思想」にお世話になっているからだ。
それでもまだちょっとつらくて、ストロングチューハイにもお世話になっている…(笑)
- 作者: 堀裕嗣
- 出版社/メーカー: 明治図書出版
- 発売日: 2015/09/29
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (2件) を見る
修論のこと
このブログを更新することなく1月が終わってしまいそうなことに気づき、慌てて更新することにした。
この1ヶ月で一番大きな出来事は、修士論文発表会だ。
柱は2つあって、一つは「現代社会」という科目の設立当時の「野望」、それがいかにして「敗北」したかということ。もう一つは「現代社会」の理念を実現するための条件を、当時の実践から探るということ。
修士1年のときに教員採用試験に合格し、籍だけ残しておいた。
足りなかった単位は指導教員の配慮もあった集中講義をやってもらったり、レポートを多く提出したりで補った。
去年の春に異動になったわけだが、「転職」と言っても過言ではないほどゆとりが生まれたので、ようやく論文を提出できた次第。
次年度はおそらく「現代社会」を担当するが、同僚の先生(というか恩師)から「SDGsで授業を構想してみないか」と声をかけられているので、さっそく修論の成果が生かせるかもしれない。
冬休み1日目
昨日は18時に帰宅して、12時間も寝てしまった。よっぽど疲れていたらしい。
今日からは午前中の部活と講習で、それが終われば年休という1日。
「政治・経済」の講習は、最初の3日間で国際政治と国際経済の演習をして、年明けからは模擬テスト。
3単位でギリギリ教科書が終わった、という雰囲気なので後期中間以降の範囲はどうしても演習不足。よりによって国際政治と国際経済を余らせてしまったので、なかなか大変である。でも、国際経済あたりの話は経済の仕組みがわからないと理解できないし、国際政治の大枠がわからないとまた理解が難しい。
センター試験まで残り22日(と生徒が言っていた)、なんとか慣れてもらいたい。
午後からは年休。同僚の先生方とスープカレーを食べて帰宅し昼寝。夕方に起き出してコンビニでつまみを買いグダグダ飲む。こんな生活ができるのも休みならでは。
グループワークの導入
勤務校では、前期終了時に授業アンケートを取っている。
私は、生徒に「趣意説明」を必ずするようにしている。具体的には、「あと半年はこの授業を受けなければいけないのだから、書きづらいかもしれないが要望をたくさん書いてほしい」と伝える。
ただなんとなく評価をつけてもらうのではなく、「授業改善=全員の利益」という認識のもと、自由記述を多く書いてもらうのだ。
板書が早いとか話すスピードが早いとか、いろんなコメントが出てくるのだが、「グループで考える時間をつくったらよいのでは」という意見が各クラス3人ぐらいずついた。
そこで、多少無理やりにでもグループワークの時間を作ってみた。4人1グループにして、ホワイトボードを渡し答えをそこに書かせる。
1)ビゴーの日清戦争の風刺画を見て、「日本・清・ロシアのねらい」を確認する
→これは資料集のまま。「合法的におしゃべりできる」という程度の盛り上がりに感じる。
2)家系図を示し、「長男と長女で平等に相続できる国と長男しか相続できない(=長女には一銭も入らない)国では、女性の人生にどのようなちがいが出るだろうか」
→「後者の国の女性は苦しい生活」という答えが多いが「男尊女卑の世の中になる」とか「女性の権利が認められない、不平等な社会に」なんていう答えも出てくると、「自分の持つ感覚」と「教科書的な言葉」のつながりがわかるようだ。
さらにこの後、「明治時代の日本は、前者と後者、どちらのしくみにしようとしたと思うか」と続ける。「前者だと思う人はグー、後者だと思う人はパーを出して」と言って一斉に出させる。パーを出す生徒がほとんどだが、「前者にしようとしたが後者になった」と種明かしして、民法の学習につなげる。
あとは、こういうやり方が自分の中であと半年続けられるかが問題だが、まずはやってみようと思う。