たのしい教師生活

高校教員7年目、地歴公民科担当。「たのしい」教師生活にするべく日々奮闘中。

「原子力発電とその課題」(高校公民・現代社会)

原子力発電とその課題」。

最初は、各政党の参議院選挙公約から原発に対する考え方をまとめる作業をやってもらおうかと思っていたが、各政党の公約を読んでいるいちに、原発って争点のなかではそこまで重点が置かれていないのでは…?と思い、計画変更。

 

教科書を徹底活用して「原子力発電について徹底理解!」を目標に2時間配当。1時間目は次の3つ。

 

1)教科書の内容を読みながら原子力発電のメリット・デメリットを整理する
2)物理の教科書(のコピー)を読みとって原子力発電のしくみを整理する
3)日本の原子力発電所の位置を地図で確認した上で、大間原発をめぐって函館市が国を提訴したことを紹介する

 

1)は、教科書には「福島第一原子力発電所の事故で、国土や海洋が放射性物質によって汚染された」なんてさらっと書いてるところを「福島第一原子力発電所の事故で、何が起きたか。」という問題にする。
そうすると答える過程で生徒は教科書をじっくり読む。「放射性物質って何?」とつぶやく生徒が絶対いる。その疑問に(自分なりに)答える生徒も出てくる。こちらから一方的に説明するのではなく、生徒同士のやりとりが生まれることを期待しての仕掛け。
「『居住制限地域』『帰還困難地域』を小学生にもわかるように言い換えてみよう」という問いが一番好評。「これって頭使うね、先生!」と言われた時は心の中でガッツポーズ。「君たちが頭を使うのが授業なんだよ」と心でつぶやきながら。。。

 

2)は、「高さ1cm、直径1cmの円筒型のペレットで一般家庭の8ヶ月分の電力をまかなえる」という物理の教科書の説明文に生徒が注目してくれることを期待して。原子力については、他教科のなかでも物理の教科書はさすがに詳しく書いてある。それを使わない手はない。

黒板に高さ1cm、直径1cmの円筒を書いてみると「え、そんなに小さいのにたくさん発電できるの?すごいじゃん!」という反応。
「すごいよね。でも…」と言って、2010年度〜2014年度の発電構成のグラフを読み取らせる。2010年度は28.9%だった原子力発電が、2014年度には0%(原発ゼロだったから…)。「えー、全部やめちゃったんだ」という生徒の声。「なんでやめちゃったんだろうね」と言いながら3)へ進む。

 

日本の原子力発電所の位置を地図で確認する。目ざとい子は「全部海側じゃん!」と言う。「いいところに気付いたね」と引き受けつつ、「建設中・・・大間原発」と板書。
大間原発、最近ニュースでよく取り上げられる。理由知ってる?」
「函館が訴えたって聞いた」
そこで新聞記事を投影。さらに、函館市長が「重大な事故が発生したら、福島第一原発の周辺市町村と同じような甚大な被害が発生する」と陳述しているニュース画像を投影。
福島第一原発の周辺市町村と同じような甚大な被害…甚大ってどういう意味?」
「やばい」「ひどい」「とんでもない」
「函館がとんでもない被害にあうってことで訴えていることになるね。じゃあ、福島第一原発の事故でどういうことになったんだろう?」
と問いかけたところでチャイムが鳴る。

次回は、福島第一原発の話とチェルノブイリの話をし、日本政府の主張を紹介し、「さて、どうする?」と問いかける予定。
自分の身近な地域の話とあって、生徒の関心は上々。

去年は自分の知識不足でどう授業していいかわからないまま30分で流してしまった原発のところ、今年は2時間配当でがんばってみよう。

 

福島第一原発廃炉図鑑

福島第一原発廃炉図鑑

 

 

「所属なき人」を生み出してはいないか

www.asahi.com

 

じっくり読んでみると、身につまされる。

小熊は、19世紀イギリスの首相ディズレーリの「二つの国民」という言葉を敷衍して現代日本も「第一の国民」「第二の国民」が存在するという。

「第一の国民」は「正社員」「正会員」とその家族、「第二の国民」は、それらの組織に所属していない「非正規」の人々であると定義している。

 

問題になるのは「第二の国民」の方で、彼らは「所属する組織」を名乗ることができず、さまざまな「縁」を持てないことになる。そんな「第二の国民」はますます増加するばかりで、藤田孝典の言葉で言えば、いわゆる正社員の中でも10年後、20年後の将来を描けない「周辺的正社員」が増加しているのだという。

 

そんな彼らの抱える困難に対して報道も政策も十分ではなく、所属組織のない人々が増えるにつれて「支持政党なし」も増えており、それは、政党内での争いなど「宮廷内左派」「宮廷内右派」の争いにしか見えないからだと小熊は言う。

 

この論評は、「放置された「第二の国民」の声は、どのように政治につながるのか。誰が彼らを代弁するのか。」という問いで締めくくられている。

 

これを読むに、大多数の人間にとっては政治のニュースや報道があっても、自分とは関係ない世界の話が報じられているに過ぎないということになる。

 

これは、公民科の意義が問われていると思う。公民科こそ、「政治や経済の話は、君たちにとって関係ない話ではないんだよ」と呼びかけるのが最も容易な教科だと思うからだ。

そしてもう一つ、「第二の国民」となっていく過程に、絶対に学校教育が存在していることが問題だと思う。学校教育が「第二の国民」を生み出しているのだ、などという単純なロジックはありえないとしても、学校教育は「第二の国民」を生み出すのに多かれ少なかれ関与しているのは間違いない。

 

「第一の国民」を生み出すような教育をすべきか、仮に「第二の国民」になったとしても、放置されないような、つまり自分から声をあげられる人間…「第三の国民」といった方が良いかもしれない…を生み出すような教育を構想していくべきか。さまざまな方向性がありうるが、いずれにしても学校教育の先には、生徒たちの社会生活が待ち受けていることは忘れてはならないだろう。

「部活中の熱中症」と危機管理

部活で熱中症、脳梗塞も発症しマヒ残る…市に410万円賠償命令 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

部活中に熱中症で障害、東大阪市に賠償命令 大阪地裁:朝日新聞デジタル

 

この裁判の原告である18歳の女性は、中学1年生のときにバドミントン部で活動中に熱中症になり脳梗塞を発症、現在も左手指先が不自由になるという後遺症を負ったとのこと。

 

朝日新聞の記事は熱中症になるまでの流れが時系列で書いてありわかりやすい。午前11時に部活が始まり、「午後1時過ぎ、床に落ちたシャトルを2度拾い損ねるなどの変調を来し、頭痛を訴えて病院に運ばれた」という。

私はバドミントンをやらないので「床に落ちたシャトルを2度拾い損ねる」のがどれだけの「変調」なのかイメージしにくいのだが、普通の動作ができなくなっていたということなのだろう。

 

私は外競技の部活の顧問なので、この裁判の内容はまったく他人事とは思えない。

まだ3年目だが、部活中の熱中症を何度か手当てした(ついこの前の大会でも、試合中に倒れそうになった生徒がいた…気温は25度でも熱中症にはなる!)。救急箱には「ヒヤロン」と「熱さまシート」を常備している。部活以外でも、夏の学校祭、校外での演舞中にクラスの生徒がどんどん体調不良を訴える、ということもあった。

おそらく、学校の教員であれば熱中症と無縁ではいられない。そして、この裁判の事例のように子どもに障害が残ってしまうようなことがあれば、悔やんでも悔やみきれないだろう。

 

さて、判決のなかでは日本体育協会熱中症予防指針について触れられている。読売新聞の記事では、「広く周知されていた」と裁判長が指摘したという。

私自身「机上にあげられていたリーフレットを眺めたことがある…かなぁ」ぐらいのもんだったので、どういう内容か確認してみた。

熱中症予防のための運動指針 - 熱中症を防ごう - 日体協

  • (温度計で)35度以上・・・運動中止
  • 31〜34度・・・激しい運動、持久走は体温が上昇しやすいので避ける
  • 28〜31度・・・激しい運動をする際は30分ごとに休息。

 

今回の事例では、体育館の室温は36度で、この指針によれば「運動は原則禁止」となる。しかし、体育館には温度計がなかったという。

教員は、子どもが学校にいるあいだ、その安全を守らなければいけない。こういったことを知っておかないと、図らずも子どもを危険に追いやってしまうかもしれない。

 

「知らなかった立憲主義」

今日の朝日新聞の「オピニオン&フォーラム」は「知らなかった立憲主義」。
囲いには
「先生、私たち、どこかで習いましたっけ。」
と書かれているが、まさしくその通り。私も高校生のときは聞いた記憶がない。
それでも立憲主義を大学で学んで「そうか、憲法ってそういうものだったのか!」と新鮮に驚いたし、これを理解していないと憲法の論議をしても噛み合わないだろう、と思って授業では積極的に教えている。


記事の中で東京都立高校の髙橋朝子先生が「この1、2年、教科書が大きく変わり、立憲主義がはっきりした形で登場しました」と述べている。
確かに、日本国憲法について扱う「現代社会」「政治・経済」の教科書は立憲主義がゴシック体(重要語句)になっている。
そして教材研究をしていて気付いたが、第一学習社の「世界史A」の教師用指導書では、「イギリスの立憲君主制」という項目の留意点として「公民科とのつながりを意識して、立憲という言葉の意味を十分に理解させる」とある。
某政治家が「立憲主義という言葉を聞いたことがない」と言ったなんて話があるが、公民科のみならず、地歴公民科(特に世界史…現代の日本においても普遍的なものとされていることの起源を学ぶことができるところに世界史を学んでおく意義があると思う)でも扱われるような話なのだ。

 
tanoshi-kyoushi.hatenablog.jp

 上の記事では「立憲主義につなげていく」という書き方しかしていないが、具体的には次のようなクイズ形式で生徒に聞く*1

「つぎのうち、憲法を守る義務のない人は誰ですか」
1 天皇   2 国務大臣   3 国会議員   4 国民

 
こう聞くと、だいたい3分の2は「4 国民」を選ぶ。
しかし、憲法第99条(憲法尊重擁護義務)の条文にある通り、憲法を守る義務があるのは1〜3であって国民ではない。
この時点で生徒は「えっ?」と驚く。その上で立憲主義の説明をする。井上ひさしの「憲法は国民から政府への命令書」という言葉で「翻訳」すれば、「そうだったんだ!」と生徒も納得する。

最近更新していなかったのは、Facebookとブログの使い分けが自分の中ではっきりしなかったから。
ずっと考えていたが、「ブログでは『自分がこれまで検索したことがあること』(=もしかしたら知りたい人が他にもいるかもしれない情報)を書き記しておこう」という気持ちになったので、授業案だとか教材研究に使った本の情報だとか、いわゆる"Tips"として活用できる記事を増やしていくつもりです。

 

 


ちゃんと学ぼう!憲法〈2〉

ちゃんと学ぼう!憲法〈2〉

 
 

 

*1:山本政俊実践が出典。たとえば歴史教育者協議会編(2008)に掲載されている。

安井俊夫『社会科授業づくりの追求』

安井俊夫『社会科授業づくりの追求』(日本書籍, 1994)の第1章・第2章を読む。絶版本だったのでAmazonマーケットプレイスで入手したが、発見がたくさんあって買った甲斐があった。

  • 子どもにとっての切実さのない事項を羅列する授業をしても、暗記地獄を生み出し社会科嫌いになっていく。「子どもにどう教えていくか」という視点ばかりで、「子どもがどう学ぶか」という視点がないと、そういう授業づくりになってしまう。*「子どもの学び」という視点からの授業づくり
  • 「自分の問題」として受け止めた結果内面化された「自分の知識」をもとに、子どもたちは「歴史的意味論」をくみたてた。*この観点は、石井(2015)のいうところの「仮設生成のプロセス」を子どもたちが体験していることに他ならない。
  • しかしながら、反論として「自分なりの」ものの見方・考え方でいいのか、というものが出てくる。安井はそれでいい、というが、これには数多くの反論があるし自分も納得しがたい。*社会科(地歴・公民科)で形成すべき学力とは何なのか、という話につながる。
  • 安井は「単元学習」に着目する。そして出てくる「初期社会科」。*「初期社会科」は奈須・江間編著(2015)にも出てくる。コンピテンシー・ベースにもとづく社会科授業づくりを検討する上で、避けて通れないのか…

 

社会科授業づくりの追求―子どものものに実現していく道 (授業づくりの本)

社会科授業づくりの追求―子どものものに実現していく道 (授業づくりの本)

 

  

  

教科の本質から迫るコンピテンシー・ベイスの授業づくり

教科の本質から迫るコンピテンシー・ベイスの授業づくり

 

 

 

意味

金曜日、10日ぶりの授業。地理で「南アメリカ大陸の人々と文化」「南米の大国ブラジル」。テスト範囲を終わらせるために、いつもの1.2倍は進める必要があった。そこで、無駄な言葉を削ることを意識して授業したのだが、意識してみると意外と達成できるもので、生徒たちも集中力を保ったまま50分を終えることができた。しかし、発問が少ない授業だった。「メスチソ、ムラートラテンアメリカ」「カラジャス鉄山、BRICS、ファジョーダ」といった用語を解説するだけの授業といった感じ。そういう授業をしていると、自分自身がつらくなってくる。「はたして、この授業は誰かにとって意味があるものになっているのか…?」と思ってしまう。

 

そんな思いを解消するために、土日は修士論文執筆のための資料取集とちょこっと読書。日本史の討論授業で有名な加藤公明先生と、「スパルタクスの反乱」などで歴史教育における共感の重要性を提起した安井俊夫先生の出版物の所在をだいたい把握した。あらかた中古で購入したので、今週中には届くだろう。来週末からは、車で1時間ぐらいのところにある地元教育大の図書館に篭って、雑誌「歴史地理教育」を読み耽ることになるだろう。ひとまずは安井俊夫実践の資料を収集して、それで書けるところまで書いてみよう。

 

子どもの目でまなぶ近現代史

子どもの目でまなぶ近現代史

 

 

考える日本史授業 4: 歴史を知り、歴史に学ぶ!今求められる《討論する歴史授業》

考える日本史授業 4: 歴史を知り、歴史に学ぶ!今求められる《討論する歴史授業》

 

 

リハビリ

1.先週の月曜日から授業再開。「あー、始まっちゃうなぁ…」とちょっと憂鬱な気分になるも、生徒の顔を見ると嬉しくなってしまうのが不思議。

最初のホームルームで、「この1週間はリハビリだと思って、生活リズムを元に戻しましょう」という話をする。その甲斐あってか、2時間目の自分の授業では目を血走らせながらノートをとる生徒たち。さてさて、冬休み中どういう生活をしていたのか(自分にも覚えはあるが…笑)

 

2.火曜日は大雪で生徒の半数が登校できない事態に。自分も車を出そうとしたが雪に埋もれて出せず、1年半ぶりに徒歩で学校へ向かう。半数がいない中授業を進めるのも気が引けたので、地理の授業では「番外編」と称して「日本人の知らない日本語」のドラマを見る。

 

3.水曜日の「現代社会」の授業は参政権・請願権について。選挙公報を示し「この人たちが行使している権利は?」という発問から選挙権・被選挙権の話をし、公務員の選定・罷免については実例として自分が辞令交付の時に読み上げた「宣誓書」を生徒の前でも読み上げ、公務員は「全体の奉仕者」であり「憲法尊重擁護義務」があることを確認する。

さらに、中国人研修生の違法労働をめぐる裁判の判決が出た時の写真を見せ、人権(この裁判では労働基本権)が侵害された時に裁判を受ける権利があること、その権利は日本国民だけでなく「何人にも」あることを話する。「月給6万円、深夜労働、休みは月に1・2回だった」と言うと、「え、俺だったら逃げる!」「でも、パスポートは取り上げられてるんだよ」「地獄じゃん!」「警察は何もしてくれないの?」…いろんな意見が出てきて面白かった。現実の事象に出会わせることで、無味乾燥に見える教科書の記述が自分のこととして立ち上がってくる。久々に「ヒット」した授業だった。

 

4.木曜日・金曜日と、3年生の授業の最終回が続く。来週からは学年末試験で、その後は家庭学習期間に入るのだ。それぞれ授業の最後の数分間で、お別れの言葉。正直「なんだこいつらは…」と思ってしまうときも去年はたくさんあったけど、今思うとそれが自分を鍛えてくれた。本当に感謝している。今年は授業していてほんとうに楽しかった。今は別れるのが名残惜しいけど、大きく羽ばたいて下さいという話をする。これから2ヶ月、授業は1年生の地理しかない。ここまで授業準備は大変だったが、終わってみるとさびしい。

 

5.土日は部活。来週大会があるので最後の追い込み。伸び悩んでいるような気がするが、こればっかりは実際に対戦してみないと結果も出ない。あと1週間、できることを精一杯やってもらおうと思う。