ADHDと付き合う・コントロールする
自分はおそらくADHD(attention deficit hyperactivity disorder、注意欠陥・多動性障害)だ。気づいたのは5年前。そのとき中心的役割を務めていた大学のサークルに大変な「困ったちゃん」がいて、その子への対処法を学ぼうと思って星野仁彦『発達障害に気づかない大人たち』(祥伝社、2010)を読んだのがきっかけだった。
というのも、読み進めているうちに「これって自分じゃないか・・・!」という事例ばっかりだったからだ。
不注意で転ぶ。不注意で飲み物をこぼす。アイディアを思いついたら言いたくてうずうずして状況に構わず発言してしまう。興味がないことは一切やらない。整理整頓の仕方がわからない。金銭管理ができない・・・あげていったらキリがない。
「なんでこんなことやっちまうんだろうなぁ…」と途方に暮れていたのは、実は「脳の癖」だったんだ!と思って気持ちが楽になったのを覚えている。
しかし、問題は山積みだ。日常生活に不適合を起こしている部分もあったからだ。それが如実に出たのが(1回目の)大学4年生のとき。研究室に配属されたが、多数の実験のやり方を口頭で説明される。しかし覚えられない。当然失敗する。「なんで何回も失敗するの?わざとやってるんじゃないの?」と叱責される。実験器具を片付けようとしていたら別のタスクを思い出し、そちらをやっていたら実験器具の存在は頭から消え、「なんで器具出しっぱなしなの!」と叱られる。カウンセリングを受けたのは、この生活のなかで心が折れかけたからだ。
しかし、折れなかった。なぜか。ADHDの特性を自覚した上で、その特性が生活に影響を及ぼさないようにしていったからだ。そのための方策を与えてくれたのが、桜井公子『どうして私、片づけられないの?毎日が気持ちいい!「ADHDハッピーマニュアル」』(大和出版, 2004)だ。
どうして私、片づけられないの?―毎日が気持ちいい!「ADHDハッピーマニュアル」
- 作者: 桜井公子
- 出版社/メーカー: 大和出版
- 発売日: 2004/03
- メディア: 単行本
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最近は大人の発達障害というのが注目を集めてきていて、それに関する書籍が出版され始めている。今日買ってきたのは2冊。司馬理英子『あなたのあらゆる「困った! 」がなくなる 「ADHD脳」と上手につき合う本』(大和出版, 2015)と福西勇夫・福西朱美『マンガでわかる大人のADHDコントロールガイド』(法研, 2015)。
あなたのあらゆる「困った! 」がなくなる 「ADHD脳」と上手につき合う本
- 作者: 司馬理英子
- 出版社/メーカー: 大和出版
- 発売日: 2015/08/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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この3冊から、私が改めて意識しようと思ったことを書いておく。ちなみに、ADHDでなくてもある種の「仕事術」として活用できると思う。
仕事や書類でやる気が出ない!
・とにかくまずは手をつける。そこを乗り越えれば案外スムーズにいく。ただし、完璧は目指さない。「完璧にできないからやらない」という言い訳につながる。中途半端な状態で終わってもいいから、とにかくやる。
・自分なりのフォーマットやマニュアルをつくって、心理的負担を減らす*1。
ものの置き場所、締め切り、戸締りなどなど…とにかく忘れっぽい!
・手帳とペンを常に持ち歩き、言われたらすぐにメモする。忘れてしまっても大丈夫な状態(見返せば思い出せる!)にする。
・"only handle it once"(一度だけ触る) 一度手にしたら、その場で処理。お金の納入、アンケートの記入、出欠表の記入など、その場でできることはその場で処理。後回しにせずすぐにやる。
・物を出したらしまうところまで必ずセットにする。次のことに関心が向いても0.5秒立ち止まって終わらせる。
部屋が片付けられない!
・明らかに不要な物を、まず捨てる。
・衝動的に物を買ってしまったりコレクションし始めたりする癖があるので、買い物するときは、買う予定以外の物は1日置いてから必要かどうか考える(買い物のスピードを遅くする)
人間関係がうまくいかない、距離感がつかめない
・表現に慎重になるためには「スピードダウン」が不可欠。思いついてから発言する前に5秒待つ。発言前にメモを取り、発言内容を精選する。
目の前のことだけに集中してしまう(過集中)
・スケジュールを組むときに休憩や食事の時間もいれる。
・「自分とのアポ」の時間を用意する。急務ではないが、とても重要なこと(資格試験の勉強など)のための時間枠を確保することで、やるべきことにがんじがらめになっている人生から一歩進める。
・朝は光を浴びる。太陽光が無理ならライトの光でもいいので浴びることで起きやすくなる。
・「食べたい、飲みたい」は脳の欲求なので、自分でコントロールするしかない。「夜8時以降は食べない」など、シンプルな方法でダイエットすることを考える。カロリー計算など複雑なものは、ストレスになるのならやらない方がいい。
全般的に…
・体をいたわる。体をやわらかくする。ストレッチをしたり、マッサージを受けたりする。
・失敗はメモしておいて繰り返さないようにする。プラスのできごともしっかり書き留めて、自分に自信を持つ。自分のいいところに目を向ける。
・完全をめざすのはやめて、気軽にできる範囲でやる。
やるべきことをやる
冬が来る前に
授業(現代社会):日本国憲法の三大原理と憲法尊重擁護義務
教科書の巻末にある、日本国憲法のページを開くよう指示。
「今から、日本国憲法前文を音声で流します。目で追いながら、一番多く出てきた言葉は何か、考えてください。」
きたがわてつ「日本国憲法前文」を流す。最初は単なる朗読だと思いながら生徒も聞いているが、途中から歌に変わって生徒たちは大騒ぎ。ツボにはまって笑い続ける生徒、「こういうのなら、俺覚えられる気がする!」という男子もいる。
「さて、一番多く出てきた言葉は何だった?」
(国民、日本国民、われら)
「憲法前文で一番多く出てくる言葉は『国民』で9回。その次が『われら』で8回。国民が国のあり方や方針を決める、ということがよくわかる。」
ここで、「国民主権」について板書。「主権」という言葉は馴染みがないので、しっかり解説する。
「さて、今から2枚の写真をみてもらう。まず1枚目。この人、誰かわかるかな?」
といって、馬に乗っている戦前の昭和天皇の写真を提示する。
「今の天皇陛下の父、昭和天皇だ。昭和天皇の服装に注目してごらん。何を着ている?」
(軍服)
「そう、軍服だ。では、2枚目の写真はどうだろう?」
ここで、戦後に地方を巡幸しているときの写真を見せる。
(洋服に変わった、タキシードをきている、背広を着ている)
「この2枚を比べてみると、天皇のイメージはどう変わっただろうか。」
(偉い人から近い人になった、軍隊じゃなくて普通の感じになった)
「戦前は統治権の総覧者とされた天皇だが、日本国憲法では『象徴』として扱われることになった。」
象徴もイメージしづらい言葉なので、愛の象徴はハート、平和の象徴は鳩といった例から理解させる。
ここから、基本的人権の尊重と平和主義についてはさっと板書してしまう。その上で、次のように発問する。
「さて、ここで日本国憲法の章立てを見てみよう。『第1章 天皇』『第2章 戦争の放棄』『第3章 国民の権利と義務』は、それぞれ何章ずつあるか。」
(第1章は1〜8、第2章は9だけ、第3章は10〜40)
「気づくことはあるか。」
(第2章は1つしか条文がないけど独立している、第3章は数が他に比べて多い)
「第2章の戦争の放棄は、制定当時重視されていたので独立しておかれている。さて、第3章だが、権利と義務はどちらの方が多く書かれているか、考えてみよう。」
ここで、1人1条ずつ指定し、条文を読ませる。
「いま自分が読んだ条文の中で、自分の条文には『権利』が書かれていると思った人?」(多い)
「『義務』が書かれていると思った人?」(少ない)
「いま手をあげてもらった通り、第3章には国民の権利が多く書かれていることがわかる。国民の義務は3つ書いてある。」
この話から、「憲法尊重擁護義務」「立憲主義」へとつなげていく。「憲法を守る義務がある、と書かれていないのは次のうちだれ?」という4択クイズから、憲法は国民が守るべきものではなく権力者が守るべきものであること、国民はこの憲法に書かれた権利を保持していくために、権力者に憲法を守らせる(「立憲主義」)必要があることを示していく。*1
*1:この授業にあたっては、数々の実践から発問を頂戴している。2冊ほど参考にした本を挙げる。
めずらしく定時退勤
月曜日火曜日と夜9時まで残ってひたすら授業の準備。といっても、来週の分まで終わらせてしまった。なんせ5科目担当しているので、のんべんだらりとやっていると常に準備に追われてストレスフルになってしまう。
生徒の活動(発問)と板書案、投影するスライドを準備してしまえば、「朝行ったらプリント印刷して、指導書に軽く目を通しておくか…」ぐらいの状態になっている。こうなるとストレスもたまらず夜もぐっすり眠れる(笑)
去年の今頃を考えてみると、授業の前日、部活が終わってからあわてて準備をするものだから帰る時間は遅くなるし準備の時間も足りなくなる。寝不足で体の調子も悪いし自信をもって授業に臨めないから結局生徒も参加せず、ますますストレスがたまり…という悪循環だった。
今日は、今週の授業は全部準備が終わったしなんだか精神的な疲労が溜まっていたので、定時で帰宅。炊き込みご飯をつくってお酒を飲みながらうだうだしていた。
明日明後日でテスト前の授業を作り終えられればとっても楽になるのだが、はたして。
カウンセリングと指導の関係
今週末は悪天候に伴い部活がオフとなった。おかげで、ゆったりとした時間を過ごすことができた。普段はまとまった思索の時間も取りにくいが、2日間もあればいろいろと考えることができる。今週末は、生徒指導について。
新版 生徒指導24の鉄則―指導に自信を深める「考え方」の原理・原則
- 作者: 吉田順
- 出版社/メーカー: 学事出版
- 発売日: 2014/02/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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近隣の大型書店で購入したが、面白くて2時間ほどで読んでしまった。
この本の中で興味深かったのは、カウンセリングと指導の関係についてである。
「カウンセリング・マインド」という言葉は初任者研修でも出てくるぐらい「重要」な用語となっている。しかし吉田は、「カウンセリング」と称して生徒を甘やかす風潮があると言う*1。「受容と共感(理解)」というカウンセリングの考え方を、「許容と指導の忌避」と曲解している教員が多いということである。
しかしカウンセリングは、問題を消し去るのではなく本人の抱えている問題に気付かせ、正面から向かわせるためのものだ。問題に正面から向かわせるのだから、生徒に対してきびしい要求をすることもありうる。きびしい要求をすることで子どもの中での矛盾や葛藤を生み出し、自らの問題点に気付かせていくのである。ここを誤解してしまうと、生徒と「ぶつかる」ことをせずただ甘やかしてしまうことになる。
では、カウンセリングと指導の関係はどういうものか。生徒の訴えや言い分、気持ちには共感するが、生徒のとった生徒指導上問題になるような行動(授業妨害や暴力など)には理解を示す必要はない、ということになる。
幼い子がものの貸し借りを巡って友達と喧嘩した場面を考えれば良い。母にはまず自分の言い分をりかいしてもらう。帰って来た父には「お前にも原因があるのだから、お前も悪い」と叱られる。こうして子どもは成長する。つまり、母のように受け止めてもらうカウンセリングの部分と、父のようにダメなものはダメとたしなめられる指導の部分が必要なのだ。指導の際には「きびしさ」も必要となる。ここでいう「きびしさ」とは理不尽なものではなく、現実原則の提示と非妥協的な説諭のことである。
以上が本書におけるカウンセリングと指導の関係についてのまとめである。
まず、「許容と指導の忌避」という言葉、とっても耳が痛い。まさしく自分がそうだったからだ。
また、カウンセリングと指導が二律背反ではないことを、言葉で納得できたのは初めてだ。自分の中では二律背反の事象ではないか、と悩んでいたが、甘やかすのではなく生徒をあるべき方向に向かわせるのが目的なのだから、毅然とした指導が必要な場面があるのは当然である。しかし、カウンセリング的手法が必要な場面は多いし、私はそちらの方が得意である(し、さらに腕を磨きたいと思っている)。
ここで考えるべきは、教員団がチームとして生徒指導にあたっていくということであろう。私のような「母性型教師」はカウンセリング的手法による受容と共感をしつつ指導するべきは指導する。一方別な教員が「父性型教師」として生徒の前に立ちはだかる…こういうあり方でこそ、一人で抱え込まない生徒指導が実現するように思われる*2
さらに言えば、一口に「指導」と言っても、怒鳴りあげたり追い詰めるようなものではない。最終的に行動が改められればいいわけで、そう考えると穏やかに諭すというのも立派な指導になるだろう(暴力行為を制止するなどの緊急事態はまた別である)。
しかしながら、生徒に「今のままではダメだ」と提示することは、生徒と「ぶつかる」ことを意味する。ぶつかることを恐れてはいけない。すぐにわかってもらえなかったとしても、「仕方ないさ」と孤独を引き受けることも必要なのだと思う。それが、教員を仕事に選んだ者の定めなのだろう。