たのしい教師生活

高校教員7年目、地歴公民科担当。「たのしい」教師生活にするべく日々奮闘中。

授業見学

今日は、地理の授業と現代社会の授業を見学される先生がいた。
「話が上手になった、間の取り方もうまい、ここまで出来るなら次は生徒全員をどう巻き込んでいくか考えていくとよい」「プロジェクターによる資料の提示など、非常に工夫されているしわかりやすい」…批判は差し控えようというところがあったとしても、このように言っていただければ「やっててよかった」と思える。たいへんありがたい感想をいただいた。
一斉授業の腕も磨きつつ、いろんな形態の学習にチャレンジしていくのが、これからの形になる予感がしている。

いずれにしても、黒板にプロジェクターで投影することで視線の移動が少なくて済み、生徒の集中力が増しているのはたしかなようだ。

「学びの共同体」風グループ学習

今日は「政治・経済」で「学びの共同体」風のグループ学習。

課題は「戦後日本政治の歴史」について、それぞれ指定された用語を使って2文以内にまとめるというもの。

(1)1950年代【55年体制

(2)1960年代〜【長期、派閥】

(3)1990年代前半【連立政権

(4)1990年代後半〜【民主党構造改革

(5)2000年代後半〜【ねじれ国会、政権交代

 

4人グループを作って、教科書・資料集を参考にまとめるよう指示しスタート。

最初は個人作業が主で黙々とやっているが、だんだん他の人に聞きながらやるようになる。

生徒たちのつぶやきが興味深い。

「え、こんなに政党あったのになくなったんだ…なんでだろう?」

収賄ってどういう意味?」

「派閥っていうのはクラスの中の『委員長』と『書記』が権力争いしてるって感じかなぁ?」「お金配って味方になってもらおうとして、汚い金に手を出したりしたのかな?」

「え、教科書読んでもわかんない。何回もねじれてるってこと?そもそも何と何がねじれてるの?」「図見たら、衆議院はこっちが多いけど参議院はこっちの方が少ないよ」

 

生徒集団には力がある。こちらが説明しなくても、ちゃんと物事の大事なところを掴んでいった。

こちらがパッと解説すればわかった気になるだろうが、生徒たちが教科書の文章や資料集の図に対して自分から働きかける方が思考が促されるのだと実感した。いつもは寝ている生徒も、最後まで起きて取り組んでいた。

50分が終わってチャイムが鳴ったとき、ある生徒は「本当に頭使った。疲れた…」と漏らしていた。そうそう、それでいい(笑)狙い通りだ。

大胆

1. 地理、なかなか生徒の活動を入れられない。ICTの活用で「ことば主義」にならない授業にはなってきている。フォトランゲージとはものすごく相性がいいし、クイズをパッと黒板に提示できるのもやりやすい。そもそも、自分が考える生徒の活動とは、結局話し合いだったりグループ学習なんだな。「学び合い」「学びの共同体」を大胆に実行していくほかないのだ。

2. 日本史は織豊政権。ここら辺は自分がたくさん知っているという自信があるからか、自分の言葉で説明できているという実感がある。自分が勉強したことの1割が授業で伝えられるとすれば、その「1割」の量が増えているということだろう。

3.時間割案を見ていたら、ついに11月の文字。ここまで来たら年末まで早いぞ。無為に過ごさぬよう。

「無為自然」のために作為的になる

進学講習で倫理のセンター対策講義をやっている。しかし、やればやるほど「これはどういう意味だ?」「もっと知りたいなぁ」…といった具合に謎は深まるばかり。そこでいろいろ調べるのだが、やはり非常に面白い。生徒よりも教師が楽しんでどうする、とも思いながら、「この世界はどうなっているのか」「人は如何に生きていくべきか」を考えるのはたまらなく楽しい。


さて、老子の思想*1。「無為自然」「上善水の如し」「柔よく剛を制す」などいろんな言葉がある。
無為自然という言葉は、儒家の唱える礼は人為的であるという批判の一つである。
学級経営に例えてみれば、規則やきまりを定め、生徒を自分の思う方向に導くのが儒家思想だとすれば、生徒を縛ったり操作するようなことは一切しないのが老子の思想である。
老子の思想に基づいたら教育にならない、と思うのは早い。老子は、具体的な統治法も述べている。
ことさらなことをしない統治が望ましいとともに、手がつけられないほどの大きい問題になる前に、すなわち小さくて易しい、対処可能なうちに物事にあたれと言うのである。
難事を未然に防げば、君主は大きな物事を行わずに大きなことが成し遂げられるということである。さらに、慎重には慎重を期せとも言う。

心構えとしては「無為自然」、しかし実際には、無為になるように作為的にあたれ…これはシステムづくりの話と似ている。
システムをつくり、評価や指導を繰り返す。そうすれば生徒たちが自分で動くようになり、担任が表に出て行かなくても学級が回る。
無為自然を実現するためには作為も必要だ、という老子の主張そのものではないか。

老子は他にも、統治者の心構えを述べる。
人々の多様性に手を加えようとしてもそれは不可能である、ゆえにすべての人を肯定せよ。統治者は物事の筋道だけつけ、民衆がどう生きるか、どう死んでいくのかはすべて彼らの自主性に任せよ。

もちろんこれのすべてを忠実に守れるかと言ったら難しいだろうが、こういった考え方で生徒たちと向き合うと、少しは心が楽になるだろう。生徒を変容させねば、言うことをきかせないと、というような「べき思想」から解き放たれるからだ。そして、その余裕と柔軟性ゆえに、新たな方策が生まれるかもしれない。追い詰められているときに、ろくな発想はできない。
「上善水の如し」、日々の仕事も教師としての在り方も、水のように柔軟で、しかし強くありたい…
なんて陳腐なんだろう(笑)しかし、老子はまだまだ深読みする価値があるなー、と思った日曜日。
明日からの5日間、なんとか乗り切ろう。

別冊NHK100分de名著 老子×孫子 「水」のように生きる (教養・文化シリーズ)

別冊NHK100分de名著 老子×孫子 「水」のように生きる (教養・文化シリーズ)




*1:ここから先の文は、『老子×孫子  「水」のように生きる』, NHK出版, 2015を参考にした。

『学び合い』にチャレンジ

1. 今日の地理で、『学び合い』に初挑戦。課題は東南アジアの都市名・地名20個を、地図帳を使って記入すること。「一人でやってもいいし、グループでやってもいい。わからなかったら立ち歩いたっていい。ただし、全員がすべての箇所を埋めること」と言ってスタート。「先生、ほんとうに立ち歩いていいの?」と言いながら取り組み始める。そうすると、普段の授業ではなかなか取り組まない生徒も、周りに聞きながらしっかりやっている。早く終わった生徒は周りに教えたり確認したり…そして何より、普段は見えない人間関係や状況が浮き彫りになる。「ははあ、この子は実はあいつと仲が良かったんだな…」「おや、彼が困ったときに聞きに行く相手はあの子なんだな…」「彼女は課題が終わったら自分のことをやっている、あまり帰属意識がないのかもしれない…」
ちなみに、クラス全員が解答欄を埋めることができた。これまで自分がいくらアプローチしてもやろうとしなかった子でさえも。
子ども集団には力があることをひたすら実感した。
反省点。
1)西川純の言う「語り」が不徹底。
2)ネームプレートを貼り、出来た人とまだ出来ていない人を視覚化することが必要だった。

2. 現代社会は仏陀の思想。縁起、四苦八苦、四諦と八正道を解説。「怒りは煩悩のひとつとされていて、八正道でも怒りをいかにコントロールするかが重要視されている…」なんて話していたのだが、放課後には自分のクラスのある生徒に怒りを覚える。仏陀への道は遠い(笑)

3. 夜は飲み会。くだらない話、授業づくりの話、雑多な話題でひたすら飲む。素晴らしい。

授業見学

授業を見せてもらうとき、「自分ならどうするだろうか」と考える。そうすると、自分が授業づくりで何を大事にしているかが見えてくる。

今週来週と、たくさん授業を見せていただく。勉強になる。

ぼんやりてきぱき

1. 3連休明けの1時間目の授業は雰囲気がぼんやりとしていた。問題演習の時間にして、頭のリハビリをしてもらった。説明を聞いてひたすら書くよりはよかったろう。

2. 自分のクラスの生徒はどうも落ち着かず。明日以降も同じ様子ならテコ入れが必要かもしれない。

3. 3時間目以降は空き。事務仕事を一気に片付ける。自分なりのシステムを構築してしまえば楽に進む。

4. 明日は生徒総会。生徒会活動がいまいち盛り上がりに欠けるのはなぜだろう。活発な学校ってあるんだろうか。