夏休みが明けて その2
昨年もこの題で記事を書いたようだ。メールで「昨年の記事を振り返りましょう」と送られてくるが、この機能はいい。
過去の自分が何を考えていたかなんて、なかなか振り返ることがないから。
夏休み明けから、「授業細案」を作成している。
授業の説明や発問を、実際に話す言葉で書いたものだ。
私の師匠が、「指導案まで作れなくても、細案を作れば授業としてぐっと整理される」と言っていた。
細案をつくることは、「何を伝えたいか」を事前に整理することにつながる。
それに合わせて、どこまで説明するか、どんな資料を提示するかを考えることにもつながる。
倫理では特に、一人一人の思想家についてのすべてを授業で説明することなど到底かなわない。
思想家の業績の中で、何を伝えていくか、何を取り上げるかが整理されるだけで、生徒にとっては理解しやすくなるようだ。
もう一つ、講義型授業が面白くないと思い始めた。
というより、生徒に考えさせる場面がない授業なのだ。
特に政治・経済。というか、国際経済。
自分に知識がないのか、それとも…
倫理の方が好きなんだろうな、と思うこの頃。
『入門 公共政策学』
入門 公共政策学 - 社会問題を解決する「新しい知」 (中公新書)
- 作者: 秋吉貴雄
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2017/06/20
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (4件) を見る
「あぁ、自分のための本だ…」という経験は久しぶり。
授業にも修論にも、まさしくこの本がぴったりだったのだ。
教えたいことは教えない
1.今日のNIEの授業。
前半は朝日新聞の「KYサンゴ」。まず記事そのものを読ませ、記事の伝えたいことと読んだ感想を書かせる。そのあと、「お詫び記事」を配布する。「あんなに真剣に読んだのに!」と生徒から笑いが出る。なぜ捏造が発生してしまうのか、その理由を考えてもらう。
・記事にすることがなくて焦ったんだと思う
・最初から結論が決まってたんだと思う
など、いろんな意見が出る。
後半は中日新聞の以下の記事の写真を取り上げ、「写真の情景を文章で説明する」「何を伝えたい写真か」「写真にタイトルをつけよう」の3つの課題を提示。
ある生徒が「沖縄県民の怒り」というタイトルをつけ、「おぉ〜」「うまい!」と周りの生徒が言う。
そこに、「でも、沖縄県民が『全員』『みんな』怒っているんだろうか?」と問いかける。一瞬の静寂。生徒の思考が動いたのを感じる。
常に「本当にそうなんだろうか?」と思うことの大切さを説明。
「教えたいことは教えない」(藤岡信勝)。生徒が自分自身の力で掴み取れるように発問するのが大事なのだ。
2.今日の倫理は「最澄と空海」。しかし、何を伝えたいかが自分の中で整理されておらず、失敗。
「教師がわかっていないと、生徒が混乱します」と我が師匠が言っていたが、今日もそれを痛感する。
日本思想を生徒に興味・関心がある形で提示できる授業とは。
やっぱり教育内容研究だな。
コメントシート
1.「現代社会」の生命倫理の授業のコメントシートを見返していたら、「これまでにない社会科の授業で、はじめて社会が楽しいと思えた」というコメントがあった。
この生徒は高3なので、小学3年生からこれまで10年間「社会科」を勉強してきている。「はじめて」楽しいと思えた、という言葉にとてつもない重みを感じる(そのうち高1・高2は自分が教科担任だったから、なおさら…)。
2.私の生命倫理の授業はさまざまな事例を紹介した上で、「あなたなら、どうしますか?」というオープン・エンド型。そして、「俺にも答えはわからない。俺も悩んでる」ということも正直に言う。
自分の免許証の裏面を見せる。「臓器移植」の意思表示欄、何も書いていない。私も悩んでいるから。
その上で、新聞記事を使って臓器移植は「本人の意思が不明だが家族が承諾する」ケースが半数以上を占めることを確認する。
「自分の大切な人が脳死になったら…どうする?」
コメントシートには、「本人が承諾していても家族が拒否したらどうなるのですか?」という質問が複数。調べると、その場合は移植は行われない。つまり、もし臓器提供をしたいのならそれを家族に伝えておく必要があるということだ…こういう質問への回答を積み重ねると、生徒はどんどん質問してくる。
3.テスト問題作成。今回は5科目。明日の分を今日の夕方作り終える、自転車操業。ミスがなければいいのだが。