考査問題作成
JRが台風被害から復旧し、久しぶりにクラス全員が揃う。
2時間目、6時間目のの2年世界史Aは、これまでの授業内で取り組んだプリントの返却とノート点検。ノート点検をしている間はとにかくテスト勉強せよ、と伝えるとほぼ全員がやっていた。「ほぼ」というのが悲しいところだが、それでも他の学年よりも熱心にテスト勉強に取り組んでいる。
空き時間は、ひたすら考査作成。明日、現代社会と日本史Bと世界史Aがあるのに、出来上がっていたのは現代社会だけ。問題作成はしてあったのだが、問題用紙のレイアウトや修正に2時間、解答用紙作成に1時間。これが2つ。時間がいくらあっても足りない。
前回は出題ミスをたくさんやってしまったので、ていねいに確認するとどうしても時間がかかる。
自分で解きながら、自分で作った日本史Bの考査に疑問がわく。「こんな細かいことを聞いてどうするの・・・?」
それでも今回は史料読解問題をたくさん出した。史料読解問題はいい。単なる知識の暗記力を試す以外のことができる。普段の授業でもやっているから、生徒が取り組みやすいと感じてくれればいいのだが。前回の考査とは少し毛色が違って戸惑うだろうか。
印刷まで終えたのが20時半。そのあとは机の整理と、教室の環境整備(テスト時間割の刑事や座席表の掲示)。
帰宅は21時半。くたびれた。
非常食を買いに
午前中は家でゆっくりと家事をして、昼前に学校へ。
1週間後には考査なので、その対策プリントを作りに行く。日本史、世界史、現代社会、倫理と原本が揃ったので、あとは配布する前に印刷するだけ。
2年前の初任のときは、対策プリントの準備に1週間かかり、そのあとの考査問題作成に1週間かかり…といくらあっても時間が足りなかったが、だいぶ慣れたものだ。
職員室では台風の接近の話題。台風の進路によっては直撃するかもしれない。滅多なことでは休校にはならないが、さてどうなるか。
帰宅後は、そんな台風の接近に備えて非常食としてチョコレートやパンを買い出しに行く。本当はα米が欲しかったが、スーパーには売っていなかった。ホームセンターに売っているのだろうか。
夏休みも明けて
気がついたら、前回の記事から2ヶ月が経とうとしている。
書こう、書こうと思いつつなかなか書けなかった。こういうのは毎日書かないと遠のいてしまう。
学校祭、夏休みが終わり2学期。
2年生の夏休み明け、ここからは見学旅行に向けて雰囲気を高めていき、部活は3年生が抜けた新体制。
はじめて出会う状況ばかりだが、それこそが自分を高めてくれるにちがいない。
授業は、日本史Bが鎌倉時代、世界史Aがナポレオン、現代社会が資源循環型社会、倫理が日本仏教の展開。
日本史Bでは、「鎌倉幕府は御家人の土地支配を保障することが生命線だった」という1点を、いろんな角度から捉えられるように進めている。
「源義経の書状」を紹介し、源頼朝がなぜ怒ったのかを考えさせる。
「なぜ関東地方の武士たちは源頼朝に従ったのか」という観点から鎌倉幕府の機構を確認する。
「北条政子の演説」を読み解くことで、「ひとたび出れば開いた花も落ち、枯れ木に花が咲く」と言われた上皇の宣旨よりも頼朝からの「ご恩」が御家人たちにとってありがったことを再確認する。
その流れで「御成敗式目」が公平な裁判を保障することの意義をわかってもらう。
安井俊夫先生の授業プリントや方法を参考にしているが、ダラダラ教科書を解説するのではなく、1時間の授業で掴んでもらう内容を明確にし、具体的なエピソードから人間の姿が見えて来る方が楽しく授業に参加できるようだ。
「原子力発電とその課題」(高校公民・現代社会)
「原子力発電とその課題」。
最初は、各政党の参議院選挙公約から原発に対する考え方をまとめる作業をやってもらおうかと思っていたが、各政党の公約を読んでいるいちに、原発って争点のなかではそこまで重点が置かれていないのでは…?と思い、計画変更。
教科書を徹底活用して「原子力発電について徹底理解!」を目標に2時間配当。1時間目は次の3つ。
1)教科書の内容を読みながら原子力発電のメリット・デメリットを整理する
2)物理の教科書(のコピー)を読みとって原子力発電のしくみを整理する
3)日本の原子力発電所の位置を地図で確認した上で、大間原発をめぐって函館市が国を提訴したことを紹介する
1)は、教科書には「福島第一原子力発電所の事故で、国土や海洋が放射性物質によって汚染された」なんてさらっと書いてるところを「福島第一原子力発電所の事故で、何が起きたか。」という問題にする。
そうすると答える過程で生徒は教科書をじっくり読む。「放射性物質って何?」とつぶやく生徒が絶対いる。その疑問に(自分なりに)答える生徒も出てくる。こちらから一方的に説明するのではなく、生徒同士のやりとりが生まれることを期待しての仕掛け。
「『居住制限地域』『帰還困難地域』を小学生にもわかるように言い換えてみよう」という問いが一番好評。「これって頭使うね、先生!」と言われた時は心の中でガッツポーズ。「君たちが頭を使うのが授業なんだよ」と心でつぶやきながら。。。
2)は、「高さ1cm、直径1cmの円筒型のペレットで一般家庭の8ヶ月分の電力をまかなえる」という物理の教科書の説明文に生徒が注目してくれることを期待して。原子力については、他教科のなかでも物理の教科書はさすがに詳しく書いてある。それを使わない手はない。
黒板に高さ1cm、直径1cmの円筒を書いてみると「え、そんなに小さいのにたくさん発電できるの?すごいじゃん!」という反応。
「すごいよね。でも…」と言って、2010年度〜2014年度の発電構成のグラフを読み取らせる。2010年度は28.9%だった原子力発電が、2014年度には0%(原発ゼロだったから…)。「えー、全部やめちゃったんだ」という生徒の声。「なんでやめちゃったんだろうね」と言いながら3)へ進む。
日本の原子力発電所の位置を地図で確認する。目ざとい子は「全部海側じゃん!」と言う。「いいところに気付いたね」と引き受けつつ、「建設中・・・大間原発」と板書。
「大間原発、最近ニュースでよく取り上げられる。理由知ってる?」
「函館が訴えたって聞いた」
そこで新聞記事を投影。さらに、函館市長が「重大な事故が発生したら、福島第一原発の周辺市町村と同じような甚大な被害が発生する」と陳述しているニュース画像を投影。
「福島第一原発の周辺市町村と同じような甚大な被害…甚大ってどういう意味?」
「やばい」「ひどい」「とんでもない」
「函館がとんでもない被害にあうってことで訴えていることになるね。じゃあ、福島第一原発の事故でどういうことになったんだろう?」
と問いかけたところでチャイムが鳴る。
次回は、福島第一原発の話とチェルノブイリの話をし、日本政府の主張を紹介し、「さて、どうする?」と問いかける予定。
自分の身近な地域の話とあって、生徒の関心は上々。
去年は自分の知識不足でどう授業していいかわからないまま30分で流してしまった原発のところ、今年は2時間配当でがんばってみよう。
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「所属なき人」を生み出してはいないか
じっくり読んでみると、身につまされる。
小熊は、19世紀イギリスの首相ディズレーリの「二つの国民」という言葉を敷衍して現代日本も「第一の国民」「第二の国民」が存在するという。
「第一の国民」は「正社員」「正会員」とその家族、「第二の国民」は、それらの組織に所属していない「非正規」の人々であると定義している。
問題になるのは「第二の国民」の方で、彼らは「所属する組織」を名乗ることができず、さまざまな「縁」を持てないことになる。そんな「第二の国民」はますます増加するばかりで、藤田孝典の言葉で言えば、いわゆる正社員の中でも10年後、20年後の将来を描けない「周辺的正社員」が増加しているのだという。
そんな彼らの抱える困難に対して報道も政策も十分ではなく、所属組織のない人々が増えるにつれて「支持政党なし」も増えており、それは、政党内での争いなど「宮廷内左派」「宮廷内右派」の争いにしか見えないからだと小熊は言う。
この論評は、「放置された「第二の国民」の声は、どのように政治につながるのか。誰が彼らを代弁するのか。」という問いで締めくくられている。
これを読むに、大多数の人間にとっては政治のニュースや報道があっても、自分とは関係ない世界の話が報じられているに過ぎないということになる。
これは、公民科の意義が問われていると思う。公民科こそ、「政治や経済の話は、君たちにとって関係ない話ではないんだよ」と呼びかけるのが最も容易な教科だと思うからだ。
そしてもう一つ、「第二の国民」となっていく過程に、絶対に学校教育が存在していることが問題だと思う。学校教育が「第二の国民」を生み出しているのだ、などという単純なロジックはありえないとしても、学校教育は「第二の国民」を生み出すのに多かれ少なかれ関与しているのは間違いない。
「第一の国民」を生み出すような教育をすべきか、仮に「第二の国民」になったとしても、放置されないような、つまり自分から声をあげられる人間…「第三の国民」といった方が良いかもしれない…を生み出すような教育を構想していくべきか。さまざまな方向性がありうるが、いずれにしても学校教育の先には、生徒たちの社会生活が待ち受けていることは忘れてはならないだろう。