なんてこった、パンナコッタ
「なんてこった、パンナコッタ!!」とは吉本新喜劇の逆の一つであるが、どうにもこの夏休み、この言葉をすでに100回つぶやいてしまうような精神状態である。
これに関しては来週以降じゃないとどうにも動けないのでジタバタしても仕方がない。じっと我慢するほかない。
さて、昨日の話の(やや)続きである。
昨日も書いたとおり、「倫理」の「日本近現代の思想」は、やたらと登場人物が多い。「あの人も紹介したい、この人も紹介しなきゃ♡」という教科書執筆者の熱い思いを反映してか、使用している教科書では20ページの記述の中に合計37人の思想家・作家etc.が登場する。
私の失敗は、「これをコンパクトに終わらせよう」と思ってしまったこと。「コンパクトに=時間短縮」であって、講習4日間=200分 ÷ 37 ≒ 5分20秒と、単純計算で思想家一人当たり約5分。これは計画の時点で無理がある。今回の講習で紹介した人物たちが草葉の陰で泣いとるで、という授業にしかならなかった。
「細かい話をぜーんぶきっちり、穴埋めプリントで♡」という発想になるときは、そもそも自分が知らない・わかっていない証拠なのだ。「その話を煎じ詰めるとこういうことなんですよ」と言うのが提示できていないのだから。
さらに言えば、「ここがなんと、驚くべきところでねぇ!!」というところが教師の方でわかっていれば、そこを発問に活かせばいい。そうすれば授業はいくらかでも活性化してくる。
教師がわかっていないことは教えられない。そんな教師に教えられた子どもたちは混乱する。おぉ、そんなことでよいのか(いや、よくない)ということで、勉強の日々は続くのである。でも、どんどんどんどん知的関心が広がっていることには感謝しかない。毎日ぼんやりしている暇もなく生きていけるのは幸せなことである。