所与のものとしない
通常登校に戻ったということは、授業も当然通常に戻った。今年度の持ち科目の一つ、「政治・経済」は2パターンあって、受験に使う人向けの増単されたパターン(教科書は教科書会社曰く「詳細型教科書」「充実型教科書」。前者はともかく、後者の名称はいかがなものだろうか?)、そうではない人向けの2単位で進んでいくパターン。
前者はさっさっさっと進んでいて、今は朝日訴訟(なんせ、民主政治の原理は授業配信で終わった「ことにした」のである)。後者はようやっと民主政治の原理まで終わった。
問題になるのが、「民主政治の原理」の一番最後に出てくる「世界のおもな政治制度」。正面切ってやってみると、ただのあん肝の、ならぬ暗記ものという感じでなんとも沈滞した雰囲気の授業になってしまった。
3クラス担当しており、2クラスは討ち死に済みである。残り1クラス、ここでも同じようにやったら討ち死に必至。さてどうするか・・・
こういう時は、風呂に浸かるのが一番だ。職員室に座ってウンウン唸っていても、むしろ「もう無理じゃない?」なんていう気持ちになってしまう。
ふっと思いついたのが、「制度設計を所与のものとしない」ということ。授業の最初に示す話でも、「今まで学んだ原理が、システムの中でどう現れているか」とやっている。制度設計をしたのが人間であるなら、生徒たちだって自分の頭でその制度設計を追体験できるはずだ、、、すでにあるものを「こういうもんだから!」とただただ暗記する、それ以外の授業展開もありうるはずだ。
こんなことを思いついたのが今日の午前中。さてさて週明け、うまくいくだろうか。