たのしい教師生活

高校教員7年目、地歴公民科担当。「たのしい」教師生活にするべく日々奮闘中。

2次試験

各予備校のホームページで、国公立大学の2次試験の解答速報が行われている。

1年前、担任していたクラスの生徒の2次試験に付き添ったのがもう遠い過去のようだ。

 

いま1年生の担任を持っているが、いわゆる「新テスト」1期生になる。

「新テスト」だけでなく「ポートフォリオ」だのなんだのといろんな話があるわけだが、大学入試改革に関わることができる高校に勤務できているだけでも幸せだと思う。いわゆる「底辺校」には関係のない話だろうから。

なぜ太字になっているのか

テスト期間は早く帰って本を読むチャンス。今回はハヤカワノンフィクション文庫から数冊ピックアップ。

 

日本‐呪縛の構図:この国の過去、現在、そして未来 上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

日本‐呪縛の構図:この国の過去、現在、そして未来 上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 「海外から見た日本」という視点が非常に新鮮。

何より、この本の第3章を読むと、科目「日本史A」の流れが非常によく掴める。

たとえば、

金銀の交換比率が異なった

→金の海外流出but関税自主権なし=流出を防ぐ手段なし

→資本の蓄積不可能=軍備拡大等も不可

→農民からの「搾取」=地租改正、松方財政 but自由民権運動による「下からの反乱」

…という具合だ。

 

今年の授業をやっての反省は、教科書の太字(黒板では黄色で書くような)用語が「なぜ太字になっているのか」を明らかにできなかったことだ。

それがその時代を特色づける概念やできごとなのか、それとも別な事象を発生させる原因なのか…そういうところを教える側が理解しておかなければ、生徒はわかるはずがない。

 

次年度以降の持ち科目はまだわからないが、この反省は覚えておこうと思う。

「その列車には、他の人も乗っていたのですか?」

「つまり歴史の授業とは、私がそれまでやっていたこと、重要事項を具体的に解説し、歴史の筋道を分かりやすく図解ふうに板書して、生徒はノートをとるということではない。歴史の中で生きた人間の姿を授業の中に持ち出すことだ。」(安井俊夫)
『新版 中等社会科の研究』三恵社, 2018 p.275

安井俊夫のこのコメントは中学校での授業のことを言っているが、私が今勤めている「進路多様校」ー全員がその科目を大学受験に使うわけではないーでも、十分に当てはまる。
安井は「子どもには子どもの入り方がある。子どもには子どものわかり方がある。」(前掲書p.277)とも言うが、確かに、私がやっている「日本史A」でも思い当たる節がある。

この前は「田中義一内閣の内政と外交」ということで、張作霖爆殺事件を取り上げた。
個人的には、この事件の真相が国民には知らされなかったことに驚きを感じたのだが、生徒の感想用紙*1を見ると、「爆破された列車に、他の人も乗っていたのですか?」というコメントが各クラス5人ずつぐらいいた。
実際乗っていたわけだが、生徒がなぜここを気にするのかが気になるところだ。書くことがなくて仕方なくひねり出した、というにはこの感想を書いた人数が多い。

と言っても、この感想を直接授業につなげられるわけでもないが。それでも授業づくりのなんらかのヒントにはなりそうだ。

[新版] 中等社会科の研究 ―「地理総合」「歴史総合」「公共」の可能性と課題―

[新版] 中等社会科の研究 ―「地理総合」「歴史総合」「公共」の可能性と課題―

  • 作者: 和井田清司,大野一夫,小林汎,田中祐児,篠塚明彦,西尾理,井田仁康,泉貴久,齋藤一晴,杉浦真理,米山宏史,加藤公明,春名政弘,川島啓一,和井田祐司,渋澤拓真,安井俊夫,福島達夫,高木行雄,保積芳美
  • 出版社/メーカー: 三恵社
  • 発売日: 2018/07/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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*1:毎回の授業で「授業でわかったこと/わからなかったこと」を生徒に書かせている。

「明後日の思想」

堀裕嗣氏の著作には毎回ハッとさせられる記述があるのだが、その中でも自分に最も影響を与えているのが「明後日の思想」である。

「あの失敗があったからこそ、いまの僕がある。あの経験は必要だったんだ」
 三年後、五年後、教師を続ける自分は、こんなふうに現在の出来事を振り返っているかもしれない。「いまだけ」に縛られるとこんなふうには考えられない。
 堀裕嗣『よくわかる学校現場の教育原理』明治図書, 2015 p.28

今日どうなるかでも、明日どうなるかでもなく、この、「三年後、五年後、教師を続ける自分」を想像するのが大事なのだ。
異動するぐらいの年数になって、「明後日の思想」の大事さをさらに噛みしめている。

こんなことを書くのも、今日まさに「明後日の思想」にお世話になっているからだ。
それでもまだちょっとつらくて、ストロングチューハイにもお世話になっている…(笑)

 

 

コルホーズとソフホーズ

コルホーズソ連の第1次五カ年計画から推進された、集団農場のこと。
ソフホーズソ連社会主義農業の経営形態の一つで、国営農場のこと。
世界史の窓の用語集より引用)

ある方のfacebookの投稿を見ていて、ふと思った。
コルホーズソフホーズ、中学校の地理で習ったな…でも、今はどうだろう?」

修論のこと

このブログを更新することなく1月が終わってしまいそうなことに気づき、慌てて更新することにした。

 

この1ヶ月で一番大きな出来事は、修士論文発表会だ。

柱は2つあって、一つは「現代社会」という科目の設立当時の「野望」、それがいかにして「敗北」したかということ。もう一つは「現代社会」の理念を実現するための条件を、当時の実践から探るということ。

 

修士1年のときに教員採用試験に合格し、籍だけ残しておいた。

足りなかった単位は指導教員の配慮もあった集中講義をやってもらったり、レポートを多く提出したりで補った。

去年の春に異動になったわけだが、「転職」と言っても過言ではないほどゆとりが生まれたので、ようやく論文を提出できた次第。

 

次年度はおそらく「現代社会」を担当するが、同僚の先生(というか恩師)から「SDGsで授業を構想してみないか」と声をかけられているので、さっそく修論の成果が生かせるかもしれない。

冬休み1日目

昨日は18時に帰宅して、12時間も寝てしまった。よっぽど疲れていたらしい。

 

今日からは午前中の部活と講習で、それが終われば年休という1日。

「政治・経済」の講習は、最初の3日間で国際政治と国際経済の演習をして、年明けからは模擬テスト。

3単位でギリギリ教科書が終わった、という雰囲気なので後期中間以降の範囲はどうしても演習不足。よりによって国際政治と国際経済を余らせてしまったので、なかなか大変である。でも、国際経済あたりの話は経済の仕組みがわからないと理解できないし、国際政治の大枠がわからないとまた理解が難しい。

センター試験まで残り22日(と生徒が言っていた)、なんとか慣れてもらいたい。

 

午後からは年休。同僚の先生方とスープカレーを食べて帰宅し昼寝。夕方に起き出してコンビニでつまみを買いグダグダ飲む。こんな生活ができるのも休みならでは。