日本史B「蒙古襲来」の授業
【導入】
ワールシュタットの戦い(モンゴル軍がポーランドに侵略した)の絵を提示。
「モンゴルがユーラシア大陸をほぼ制圧。どちりがモンゴル軍か。」
「このモンゴル軍、日本にはどのような対応をしてくるのだろうか…」
【展開】
1)フビライから日本に送られた書状を紹介する。
「『誰が好き好んで兵を用いるだろうか』というのは、何を言いたいのだろうか。」
『脅し』
「この手紙に対して、君が北条時宗だったらどう返答する?」
『来るなら来いって言う』『使者を送る』
「実際は無視。6回同じ書状がきた。しかし、使者を殺害するなどする。返答がないことを受け、フビライは日本侵略を決意する。」
2)「蒙古襲来絵巻」を読み解く
「この絵、見たことある?」
『見たことある!』
「どちらが日本か」『右』
「勝っているか、負けているか」『負けている』
「このときの日本の戦いぶりを示した文書がある。読んでみよう」教師が朗読。
「この文書を絵にしたらこの絵のようになる。日本は一騎打ちだがモンゴルは集団戦法。毒矢も使っている。そして、馬が驚いてしまっている。なぜか?文書中に書いてある。」
『てつはうの音が大きくて驚いている』
「この絵の真ん中で炸裂しているのがてつはう。大きな音と煙で相手を驚かせる。後にポルトガル人が伝えた兵器を鉄砲と呼んだのは、この『てつはう』と同じく大きな音が鳴り煙が出るところに注目したかららしい。」
「モンゴル軍優勢の戦い。明くる日博多湾を見たら、船が消えていた。暴風雨のためと言う。」
3)弘安の役
「さて、君たちがフビライだったらこれで諦めるか。それとも再チャレンジするか。」
『実力では勝ってたから再チャレンジする』
『防備を固める』
「そのために作ったのが防塁。(写真を見せ)防塁があると何がいいのか」
『登りづらい』
「他には、異国警固番役を強化した。さて、ここで年表を確認しよう。文永の役のあと、元の周りで起こったことは何か。」
『南宋が降伏した』
「ここで40万人の兵士が家来になった。この兵士たちを使って何をするか…文永の役は3万人だったが、今度は14万人の軍勢で押し寄せる。教科書の地図をみよう。文永の役と弘安の役で、元軍のルートに違いがある。何か。」
『二手に分かれている』『博多湾の周りをウロウロしてる』
「防塁があり、前回のように博多湾から上陸はできなかった。蒙古襲来絵巻の別なシーン。防塁にどっかり武士たちが構えているのがわかる。」
「それでも14万人の軍勢。結果はどうなったか…地図を見てみると……」
『朝鮮や中国に戻ってる』
「結局撤退。暴風雨の影響という記録が残っている」
「改めて日本が元に勝利した理由を確認しよう。教科書に2つある。読み取ってみると?」
「君たちが高麗や南宋の兵士だとしたら、がんばって戦う?」
『戦わない』「なんで?」『征服されてるからやる気がない。命を賭けてまでと思わない。』
「実際、高麗王がフビライに送った手紙を読んでみよう。…生活が苦しいとある。そんな中、半年で600隻の船を作った。当時の記録に『船が○り』とある。あてはまる漢字、ピンとくるか?ここには腐りと入る。船が腐るとはどういうことだろう?」
『すぐ沈む』『だんだん壊れてく』
「それだけのものしか作れなかったし、モンゴル軍はそれに頼るしかなかった。」
4)その後の鎌倉幕府
「さて、二度ある事は三度あるという。実際にはあったか…弘安の役のあと、元の周りで起こったできごとは何か。年表から読み取ろう。」
『ベトナムが50万人の元軍を撃退した』
「このように、日本以外のところとの争いもあって、日本にやってくることはなかった。でも、当時の日本の人たちは『3度目はない』とう思うだろうか」
『思わない』
「当然この後も元がいつやってきてもいいように対策をする。もう一つ。奮戦した御家人は、幕府にあるものを要求する。何か。」
『土地』
「与える土地はあるか。」『ない』
「平家との争いや承久の乱では相手方から取り上げた土地を御恩として配分することができた。しかし今回は外からやってきた敵を撃退しただけだから、新しく与える土地はない。ここから御恩と奉公の関係が崩れていく。(悪党の写真を見せ)次第に、荘園や公領を荒らす武士たちも出てくる。これまで鎌倉幕府を支えてきた仕組みが、次第に崩壊していく。」
ここまでで40分だったので、当時の寺社が「敵国降伏」祈願をしそれを元に褒賞を迫ったこと、元を撃退した暴風雨を神風と呼び、それが神風特攻隊につながったこと、元寇という用語の意味合いを話して終える。
※この授業の展開は、安井俊夫実践をほぼ追試したものである。