「無為自然」のために作為的になる
進学講習で倫理のセンター対策講義をやっている。しかし、やればやるほど「これはどういう意味だ?」「もっと知りたいなぁ」…といった具合に謎は深まるばかり。そこでいろいろ調べるのだが、やはり非常に面白い。生徒よりも教師が楽しんでどうする、とも思いながら、「この世界はどうなっているのか」「人は如何に生きていくべきか」を考えるのはたまらなく楽しい。
ことさらなことをしない統治が望ましいとともに、手がつけられないほどの大きい問題になる前に、すなわち小さくて易しい、対処可能なうちに物事にあたれと言うのである。
難事を未然に防げば、君主は大きな物事を行わずに大きなことが成し遂げられるということである。さらに、慎重には慎重を期せとも言う。
システムをつくり、評価や指導を繰り返す。そうすれば生徒たちが自分で動くようになり、担任が表に出て行かなくても学級が回る。
老子は他にも、統治者の心構えを述べる。
人々の多様性に手を加えようとしてもそれは不可能である、ゆえにすべての人を肯定せよ。統治者は物事の筋道だけつけ、民衆がどう生きるか、どう死んでいくのかはすべて彼らの自主性に任せよ。
もちろんこれのすべてを忠実に守れるかと言ったら難しいだろうが、こういった考え方で生徒たちと向き合うと、少しは心が楽になるだろう。生徒を変容させねば、言うことをきかせないと、というような「べき思想」から解き放たれるからだ。そして、その余裕と柔軟性ゆえに、新たな方策が生まれるかもしれない。追い詰められているときに、ろくな発想はできない。
「上善水の如し」、日々の仕事も教師としての在り方も、水のように柔軟で、しかし強くありたい…
なんて陳腐なんだろう(笑)しかし、老子はまだまだ深読みする価値があるなー、と思った日曜日。
明日からの5日間、なんとか乗り切ろう。
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