心情的なつながりが生まれる場面
1. 今日は体育祭。普段とちがう状況だからこそ、生徒の「素の状態」が現れる。生徒どうしの人間関係を観察することができた。
2. 自分が担任しているのは1年生なので、なかなか2・3年生には勝てない。しかし、バドミントンでは勝ち上がった。中学校のとき部活でやっていた生徒が多かったからだろう。
3. 印象的だったのは、他の競技(バスケットボール)をやっているときにはたとえ自分のクラスの試合でも無関心だった生徒たちが、バドミントンの試合に関しては「あいつ強いぞ」などと言いながら観戦し、次第にプレイに対して拍手するようになったこと。応援するようになった、と言っても良い。自分のクラスの試合でも応援せず無関心でいるということは、目の前でプレーしているのは「クラスがいっしょの人」という感覚であり、「クラスメート」という感覚ではないことを意味する。帰属意識がないということでもある。しかし、あのバドミントンの試合のときには、プレーしている選手と応援者の間には、「心情的なつながり」が生まれていたように思う。ここで生まれた「心情的なつながり」は、行事が終わっても残るだろう。こういったつながりが生まれるところに、学校行事の意味があるのかもしれない。
4. 授業の準備。現代社会は世界の三大宗教。原典(と言っても資料集にのっているような感じだが)を読み解きながら理解してもらえるように、発問やプリントを用意するつもり。政治・経済は地方自治だが、何に照準をしぼるか。