たのしい教師生活

高校教員7年目、地歴公民科担当。「たのしい」教師生活にするべく日々奮闘中。

【倫理】聖徳太子の思想

大学入試を考えれば出題頻度はそんなに高くないので飛ばしたくなるところだが、、、

 ・日本思想史においては聖徳太子の仏教理解から話が始まることが多い

・生徒も小中学校の授業で馴染みがあるので上手くやると授業に乗って来やすい

・11月の見学旅行で関西方面に行くのでその事前研修もしたい
 

ということで、30分かけてやってみた。

聖徳太子肖像画掲示

「この人は誰でしょう?」『聖徳太子
「この人は、多くの伝説を持っている。聞いたことあるのは?」
『10人の話をいっぺんに聞けた』(だから別名は「豊聡耳命」)
『馬小屋で生まれた』(だから「厩戸王」と言う、という話も)

他に、ブッダの骨を右手に握って生まれてきた、2才の時に南無仏と東方を向きながら行った、7才の時に百済からの書物は全て読みつくした、などを紹介。

「この人の業績、やったことで知っていることは?」
法隆寺を建てた』『憲法十七条をつくった』『冠位十二階を制定した』
「倫理の授業で聖徳太子を取り上げるからには、彼の思想を理解することが大事。そのために、憲法十七条を現代語訳してみよう。」

憲法十七条の第10項の一部(「共にこれ凡夫のみ。」のところまで)を配布し、現代語訳(作業)。
現代語訳し終わったところで、大意を確認しながら「凡夫」の意味を抑える。
その後、憲法十七条第10項の続きを提示する。
「そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。」

「これが、聖徳太子の考えた話し合いの極意。偉い人に服従する、ということではない。いくら自分が正しい!と思ってもほんとに自分が正しいかな?と謙虚であれば、相手の言うことに疑問符が浮かんでもそっちの方にもしかしたら正しさがあるのか?と考えれば、話し合いはうまくいく。」
「こういった考えは、中国の儒教思想の影響もあるが、やはり仏教思想を聖徳太子が理解したからこそ生まれてきたものだと考えられる。」
「ただ、わざわざこういうことを言わないといけないということは、、、現実はその逆だったということだ。」(廊下を走るな、というルールは廊下を走る人間がいるから生まれる。)
聖徳太子肖像画には、こういうのもある」
https://xn----kx8a55x5zdu8lppiv89e.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/wp-content/uploads/2017/10/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90%E5%83%8F%E3%80%90%E5%9B%BD%E5%AE%9D%E3%80%91.jpg
「最初に見た肖像画と比べてみると、どういう印象をもつだろうか。仏教を軸に国家安泰を目指すべく奔走した聖徳太子の、苦悩もうかがえるかもしれない。」

この後、「世間虚仮、唯仏是真」などのキーワードを説明して終了。



 

 

 

終わり良ければ

学校祭が終わって、今日は振替休日だった。

 

学校祭で失敗するのも人生経験のうち、とは頭ではわかるし生徒たちにも言うのだが、やはり失敗はしたくない(笑)

案の定いろんなこと(というか人間関係のいざこざ)があって「こりゃ参った」という状況にも陥ったが、それだけ学校祭をがんばろう、と生徒たちが思って行動した、ということだろう。

学年内で順位がつくのだが、その結果が良かったから「終わり良ければすべて良し」となるはずだ。

 

実は担任である私が一番気を張っていたのか、昨日は高熱を出して寝込んでしまった。今日も1日自宅で静養。明日からまた学校だが、夏休みまで10日足らず。無理をせずやろう。

 

 

修正して臨む

いま、「現代社会」の授業は青年期をやっている。

その中で、欲求不満への対処という話が出てくる。その中で必ずやるのがフロイトの提唱した防衛機制についてだ。

欲求不満が発生した時の対処の方法は「1)合理的解決、2)近道反応[八つ当たり、やけ食いなど]、3)防衛機制」の3つに大別できる。

特に、3)防衛機制は無意識的に行われるという行動であるという点で、「人間は理性に基づいて合理的に判断し行動している」という人間の捉え方とは全く違う考え方を提示している。

これを提唱したのはフロイトという人物で…

 

という具合で授業を進めている。

教科書には、フロイトの「心的装置」についての図がある。

心は「自我・超自我エス(イド)」の三つの部分から構成されており、自我に対してはエス(イド)からリビドー(性的衝動;エネルギー)による要求とともに超自我からの監視・検閲が行われている…

なんていう型通りの説明をしたのだが、これがまぁ失敗してしまった。

防衛機制」という話とのつながりを欠いたまま、心的装置の図の説明に終始してしまったからだ。こういう話に興味のある生徒にとってはともかく、大多数の生徒にとっては「なぜ、この図の説明を聞かなければいけないのだろう?」という感じになってしまったのだ。

 

今日、あるクラスでやってうまくいかなかったので、明日の2クラスでは説明や発問を修正して臨みたい。

今年度は複数クラスを持っている科目が3科目中2科目あるので、最初で「うまくいかなかった…」ということを修正して次の授業に生かすことができる。

最初のクラスの子どもたちには申し訳ないが…

デューイとの再会

コンピテンシー・ベース」の教育を考えるなら、デューイを読めばよいと言ったのは誰だったか。

学部生以来で『学校と社会』を読んでいる。

高校倫理では、デューイはプラグマティズムのところで出てくる。その知識もあってか、学部生の時よりスラスラ読めている。

まだ半分しか読んでいないが、これはブックレビューを作る価値がありそうだ。

 

学校と社会・子どもとカリキュラム (講談社学術文庫)

学校と社会・子どもとカリキュラム (講談社学術文庫)

 

 

ピタゴラス音律

1)前回視聴したNHKスペシャル「その時夫婦は」の感想を紹介。
 ・出生前診断という技術への懐疑(障害を理由とした人工妊娠中絶の是非)
 ・自己決定権の尊重(夫婦で話し合ったのだから、その結論に外野がとやかく言うべきではない)
 という意見の2つに概ね集約できた。
2)その上で、これらの立場の対立は生命倫理の世界でも議論となっていることを紹介する(プロライフとプロチョイスの話)。
3)優生思想について、ナチスドイツのユダヤ人虐殺、2016年の事件の話を紹介する。
という流れ。
この話をすると教室の雰囲気が重苦しくなるので、話が終わった後も切り替えが難しい。今日は検診があってこの話が終わったタイミングで検診に入ったのである意味助かった。

  • 「政治・経済」は、憲法改正の手続きについて。ちょうど今日の国会で憲法審査会が開かれていたのでそれと絡めつつ。こちらは淡々と終わってしまった。

黄金比

・今日から授業が再開。連休明けだったが、連休に入る前と様子は変わらない。

 

・「政治・経済」は日本国憲法の三大原理。「ルールが定められるということは、現状がそのルールと反対だということだ」ということで、大日本帝国憲法との比較を交えて。生徒たちは日本史Aで近現代史を学習しているから、「そんな話もあったなー」などと応じながら授業を聴いてくれる。歴史学習無くして公民の学習はない。

 

・「倫理」は古代ギリシャ思想の導入。こちらは世界史Aで(なのに?)古代ギリシャを細かく勉強しているようで、歴史的背景やギリシャ神話の話はほどほどに、「秩序立った世界について、ロゴスによって把握する」とはどのようなことか、黄金比を事例に話す。女性芸能人の顔を黄金比に当てはめるのが受けた。調子に乗ってユークリッド互除法の話もした。

 

・コメントカードの中に「ロゴスという言葉の意味がわからなかった」という質問があった。「ロゴス(言葉・理性)によってロゴス(理論・定義)を追究しロゴス(本質存在)を認識する」という言い方もできるわけで、ますます混乱するかもしれない。

11連休

ゴールデンウィークは、世間様より1日多い11連休だった(授業参観を日曜日に行ったので、その振替)。部活を全てオフにするという決断を下し、一生に一度しかないであろう11連休を満喫した。

 

・前半は、センター試験の倫理の過去問を解くこと、丸山眞男『現代政治の思想と行動』、京極純一『日本の政治』を読むことに費やした。

 

・3年生の講習が6月から始まるが、今年度は倫理と政治・経済の両方を担当する。政治・経済は去年やってなんとなく掴んだので、今年は倫理の出題傾向を自分の肌で感じておこうという試み。感じたことは

 1)リード文や史資料の「読解」問題の正答率が低い生徒は、倫理を受験しないほうが良い。

 2)見知らぬ人物が選択肢に入ってきた場合は、消去法(「こんな奴の名前は知らんけど、カントがこんなこと言うわけないんだよなぁ」みたいな)。

 3)見知った人物の選択肢で見たことがない用語が出てきた場合、リード文にヒントがある。

 の3つ。特に、1)であげた「読解」問題は、倫理で7割以上を目指すなら絶対に落とせないだろう。

 

丸山眞男は「現代社会」の教科書にも太字で出てくるが、学部生の頃に読んで以来だったので読み直す。丸山が明らかにした、日本という国をファシズムを導いた心性や構造は、今の日本、というか学校現場にもまだまだ巣食っている。

 

京極純一は、自分の家の本棚にあったのを拾って持って行ったのだが、なかなか興味深い内容だった。カオスとコスモス、なんていう宗教学で出てくる用語で政治を分析するあたり、政治を分析することは人間を分析することなのだ、という視点を与えてくれた。「政治・経済」はどうしても制度の説明に堕してしまいがちだが、この視点は忘れたくない。

 

後半の話は、また今度。