春休み後半
春休み前半は、母校の定期演奏会、中学校の恩師の退職記念コンサート、そして東京でのNコン課題曲講習会と合唱三昧だった。
後半(と言っても1週間だが)は、新年度の準備に忙殺されることになる。
授業は、今年度は倫理2単位1クラス、政治・経済3単位2クラス、現代社会2単位3クラスの合計14コマ。これにホームルームと総合的な探求の時間*1を合わせて16コマ。
昨年度は日本史A、日本史B、政治・経済の3科目だった。日本史は専門外だし日本史Aは初めて持つし、異動して1年目で探り探りだったしで、やや大変だったが、今年度は専門の公民だし生徒の雰囲気も大体わかるしで、おそらく楽しくできるだろう。
*1:今年度から、総合的な学習の時間から名称が変更になった
支持率
「教師は内閣総理大臣のようなものだ。内閣の支持率が100%はあり得ない。」
中村健一『策略ーブラック授業づくり つまらない普通の授業にはブラックペッパーをかけて』明治図書, 2017, p.110
いよいよ年度末、クラス替えがどうなるかというのが子どもたちの最大の関心ごとになってきている。クラスメートもさることながら、担任が誰になるか、も気になるらしい。
生徒によっては、「来年も先生のクラスがいいです」と熱烈に言ってくる者もいて、それはそれでこの1年間でそう思ってくれたのね、と正直悪い気はしない。
でも、状況証拠から判断するに「この生徒は私のことを嫌いなんだな」という生徒もいる。そんな生徒の様子を見ると、「自分じゃなくて別な人が担任だった方がもっと育ったのかもしれない」*1と思ってしまう。
ただ、一番最初に引用した中村健一の言葉にもある通りで、生徒全員が自分のことを大好きで…という集団はあり得ない。あったとして、その集団は次が大変だ。その環境と次の環境のギャップが激しくなり過ぎてしまう。
そういう観点からすれば、今年度の自分のクラスは割と健全なのではないか、と思う。
*1:子どもは放っておいても「発達」(成長といってもよい)するので、別に自分が教員として育てたというわけではない。
板書案型指導案
来年度の授業改善に向けていろいろ検索している内に、「板書案型指導案」というのを見つけた。
http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cmsdata/c/0/9/c09b1410329a2668b208fd359302bdd7.pdf
この「板書案型指導案」なら、日常でもできる気がする。
というのも、私はこれまで授業ノートに「コーネルメソッドノート」を使ってきた。「板書案型指導案」のスタイルとコーネルメソッドノートは、レイアウトがピッタリ一致しているのだ。
来年度、提案性のある取り組みができるかもしれない。
なぜ太字になっているのか
テスト期間は早く帰って本を読むチャンス。今回はハヤカワノンフィクション文庫から数冊ピックアップ。
日本‐呪縛の構図:この国の過去、現在、そして未来 上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: R.ターガートマーフィー,仲達志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2017/12/19
- メディア: 文庫
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「海外から見た日本」という視点が非常に新鮮。
何より、この本の第3章を読むと、科目「日本史A」の流れが非常によく掴める。
たとえば、
金銀の交換比率が異なった
→金の海外流出but関税自主権なし=流出を防ぐ手段なし
→資本の蓄積不可能=軍備拡大等も不可
→農民からの「搾取」=地租改正、松方財政 but自由民権運動による「下からの反乱」
…という具合だ。
今年の授業をやっての反省は、教科書の太字(黒板では黄色で書くような)用語が「なぜ太字になっているのか」を明らかにできなかったことだ。
それがその時代を特色づける概念やできごとなのか、それとも別な事象を発生させる原因なのか…そういうところを教える側が理解しておかなければ、生徒はわかるはずがない。
次年度以降の持ち科目はまだわからないが、この反省は覚えておこうと思う。