「わからなさ」を大切に
土日のどちらかで出勤して教材研究をしようと思ったが、結局両日とも家に引きこもってしまった。
ゴールデンウイーク明けから、7時出勤・20時30分退勤が常態化している。部活がほぼ活動していないから土日は休めているが、それでもしんどい。
かろうじてアスパラと舞茸を炒める。料理をすると、なぜか気持ちが楽になる。
先週は、自分がよくわかっていないことを教えても生徒は混乱するだけ、というのを痛感した1週間。
「政治・経済」の授業を経済から始めたのは、ある意味正解だったかもしれない。ここまでわからないことが多かったとは思わなかった。
職場の再任用の先生が「俺、もっと勉強しないとなー」と言うのを聞いて、いつまでも「わからないこと」を見つけられることは教師の職能において重要なものだろう、と思う。「わからなさ」を追究するなかに、いい授業が生まれてくるはずだから。
インセンティブ
授業は2コマ連続のNIE。
「今村大臣辞任」のニュースについて、トクダネとミヤネ屋を見せた後に新聞1面記事の読み取り。
思いのほか熱心にやっていた。新聞を読める、というのはインセンティブになっているのかもしれない。
今日は仕事の歩留まりも悪く、もっぱら生徒情報の交換。これはこれで、後々生きて来るはずだ。
明日の授業は「日本の原子力発電」。震災から6年、「福島第一原発の問題」と言ってもピンとこなくなってきた生徒たちに、少しでもわかりやすく伝わればいい。
なんてこともない
今日は、NIEの授業が2コマと倫理。
NIEの方は、一人一つずつ新聞を渡し、それぞれの面の見出しや簡単な内容の要約。夢中になって50分取り組んでいた。「ホンモノ」と出会わせるのは、やはりいい。
倫理はプラトンの思想。イデア論は「そんなものあるわけないじゃん」という生徒のつぶやきを拾いながら。と言っても、自分がよくわかっていない(納得していない)で説明しているので、それが伝わってしまう。生徒が混乱してしまったかもしれない。
ホームルームは、生徒総会の議案書審議。予算案のあたりで少し盛り上がる。「君たちの意見は思っているよりも『ごもっとも』だから、口にしてみるといいよ」とコメントする。
放課後は職員会議、教材研究。
自習に来た生徒に対応しながら、理系進学者指導の難しさを感じる。4単位の「化学」「生物」は、現役生にとってハードルが高いように思う。
進学校は、そこらへんの教育課程を上手にやっているのだろうが、「科学と人間生活」を置いている本校では、まったくうまくいっていない…
遅くまで残っていた先生とカレーを食べに行っておしゃべり。愚痴を言えているうちは、まだまだ大丈夫だろう(言えなくなったときは…)。
家に帰ってきて読書。迷ったときにはこの本に帰ってきてしまう。
「教えられてしまうことはつまらないことなのである。」
■
朝、7時に目覚めるも二度寝してしまって10時。起きたら頭痛がしたから、充実感はあまりない。寝すぎだ。
起きて床屋に行くも予約でいっぱいで入れず。
書店で原発関係の本を買い漁る。
「現代社会」のプリントで「あなたが原子力発電について知っていること、わからないこと、疑問に思うことを書いてください」という設問をつくったら、
・教科書にある「福島第一原発の問題」とは具体的に何か
・絶対に原子力発電でなければいけない理由はあるのか
・放射線は取り除けるものなのか
・6年も経っているのに除染作業をしているのはなぜか
・原発のゴミはどこに捨てているのか
…他多数。
これにすべてお答えするには、自分が勉強するしかない。
夕方には学校へ。記述模試を受けた自分のクラスの生徒と面談。
あと10ヶ月、どうなることやら。
夜は先生方でバーベキュー。後ろ向きな話が多くなる。前向きな話ができる日は来るのか…
1週間の幕開け
今週は、宿泊研修に行く先生の代講が入ったために週21時間。木曜日に至っては6時間中6時間授業で、そのあとに宿泊研修で校歌指導の講師。なんとも殺人的…(笑)
やりたいことはたくさんあるのに全然手が回っていないこの感じ…切迫感があまりに強すぎて、どんどん病んでいる気がする。生徒に思わず強く注意してしまいそうになるのをぐっとこらえる。「生徒の前に出るときは笑顔で」と思い、実際に「ニコッ」とした顔を作るだけで、ちょっと気持ちが軽くなる。
今年度、板書でやる授業は1つだけにした。残りはプリント。プリントの最後に、「今日の授業でわかったこと、疑問に思ったこと、調べてみようと思ったこと」というコメント欄をつけてみた。
そのコメント欄を読むのが、このささくれ立った日々の癒し。「あぁ、こういう伝わり方するんだなぁ」と反省したり、鋭い指摘から次の授業の構想が浮かんだり、「先生の説明はわかりやすいですね」というコメントにありがたさを感じたり…
なんか残り4日、乗り切りたい。