安井俊夫『社会科授業づくりの追求』
安井俊夫『社会科授業づくりの追求』(日本書籍, 1994)の第1章・第2章を読む。絶版本だったのでAmazonマーケットプレイスで入手したが、発見がたくさんあって買った甲斐があった。
- 子どもにとっての切実さのない事項を羅列する授業をしても、暗記地獄を生み出し社会科嫌いになっていく。「子どもにどう教えていくか」という視点ばかりで、「子どもがどう学ぶか」という視点がないと、そういう授業づくりになってしまう。*「子どもの学び」という視点からの授業づくり
- 「自分の問題」として受け止めた結果内面化された「自分の知識」をもとに、子どもたちは「歴史的意味論」をくみたてた。*この観点は、石井(2015)のいうところの「仮設生成のプロセス」を子どもたちが体験していることに他ならない。
- しかしながら、反論として「自分なりの」ものの見方・考え方でいいのか、というものが出てくる。安井はそれでいい、というが、これには数多くの反論があるし自分も納得しがたい。*社会科(地歴・公民科)で形成すべき学力とは何なのか、という話につながる。
- 安井は「単元学習」に着目する。そして出てくる「初期社会科」。*「初期社会科」は奈須・江間編著(2015)にも出てくる。コンピテンシー・ベースにもとづく社会科授業づくりを検討する上で、避けて通れないのか…
今求められる学力と学びとは―コンピテンシー・ベースのカリキュラムの光と影 (日本標準ブックレツト)
- 作者: 石井英真
- 出版社/メーカー: 日本標準
- 発売日: 2015/01/27
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (2件) を見る
意味
金曜日、10日ぶりの授業。地理で「南アメリカ大陸の人々と文化」「南米の大国ブラジル」。テスト範囲を終わらせるために、いつもの1.2倍は進める必要があった。そこで、無駄な言葉を削ることを意識して授業したのだが、意識してみると意外と達成できるもので、生徒たちも集中力を保ったまま50分を終えることができた。しかし、発問が少ない授業だった。「メスチソ、ムラート、ラテンアメリカ」「カラジャス鉄山、BRICS、ファジョーダ」といった用語を解説するだけの授業といった感じ。そういう授業をしていると、自分自身がつらくなってくる。「はたして、この授業は誰かにとって意味があるものになっているのか…?」と思ってしまう。
そんな思いを解消するために、土日は修士論文執筆のための資料取集とちょこっと読書。日本史の討論授業で有名な加藤公明先生と、「スパルタクスの反乱」などで歴史教育における共感の重要性を提起した安井俊夫先生の出版物の所在をだいたい把握した。あらかた中古で購入したので、今週中には届くだろう。来週末からは、車で1時間ぐらいのところにある地元教育大の図書館に篭って、雑誌「歴史地理教育」を読み耽ることになるだろう。ひとまずは安井俊夫実践の資料を収集して、それで書けるところまで書いてみよう。
考える日本史授業 4: 歴史を知り、歴史に学ぶ!今求められる《討論する歴史授業》
- 作者: 加藤公明
- 出版社/メーカー: 地歴社
- 発売日: 2015/12/15
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
リハビリ
1.先週の月曜日から授業再開。「あー、始まっちゃうなぁ…」とちょっと憂鬱な気分になるも、生徒の顔を見ると嬉しくなってしまうのが不思議。
最初のホームルームで、「この1週間はリハビリだと思って、生活リズムを元に戻しましょう」という話をする。その甲斐あってか、2時間目の自分の授業では目を血走らせながらノートをとる生徒たち。さてさて、冬休み中どういう生活をしていたのか(自分にも覚えはあるが…笑)
2.火曜日は大雪で生徒の半数が登校できない事態に。自分も車を出そうとしたが雪に埋もれて出せず、1年半ぶりに徒歩で学校へ向かう。半数がいない中授業を進めるのも気が引けたので、地理の授業では「番外編」と称して「日本人の知らない日本語」のドラマを見る。
3.水曜日の「現代社会」の授業は参政権・請願権について。選挙公報を示し「この人たちが行使している権利は?」という発問から選挙権・被選挙権の話をし、公務員の選定・罷免については実例として自分が辞令交付の時に読み上げた「宣誓書」を生徒の前でも読み上げ、公務員は「全体の奉仕者」であり「憲法尊重擁護義務」があることを確認する。
さらに、中国人研修生の違法労働をめぐる裁判の判決が出た時の写真を見せ、人権(この裁判では労働基本権)が侵害された時に裁判を受ける権利があること、その権利は日本国民だけでなく「何人にも」あることを話する。「月給6万円、深夜労働、休みは月に1・2回だった」と言うと、「え、俺だったら逃げる!」「でも、パスポートは取り上げられてるんだよ」「地獄じゃん!」「警察は何もしてくれないの?」…いろんな意見が出てきて面白かった。現実の事象に出会わせることで、無味乾燥に見える教科書の記述が自分のこととして立ち上がってくる。久々に「ヒット」した授業だった。
4.木曜日・金曜日と、3年生の授業の最終回が続く。来週からは学年末試験で、その後は家庭学習期間に入るのだ。それぞれ授業の最後の数分間で、お別れの言葉。正直「なんだこいつらは…」と思ってしまうときも去年はたくさんあったけど、今思うとそれが自分を鍛えてくれた。本当に感謝している。今年は授業していてほんとうに楽しかった。今は別れるのが名残惜しいけど、大きく羽ばたいて下さいという話をする。これから2ヶ月、授業は1年生の地理しかない。ここまで授業準備は大変だったが、終わってみるとさびしい。
5.土日は部活。来週大会があるので最後の追い込み。伸び悩んでいるような気がするが、こればっかりは実際に対戦してみないと結果も出ない。あと1週間、できることを精一杯やってもらおうと思う。
仕事始め
教科の本質
年末年始は実家でゆっくりすることにした。
1.
ゆっくりすると言っても暇なので、修士論文の文献を検討。大学院在学中に採用になったから、修士論文を出していない。在学期限が延長になる制度がありそれを使っているが、その期限も迫っている。今年の目標の一つは「修士論文の提出」である。
今年は、「教科の本質」という言葉とお付き合いする年になりそうだ。おそらくは安井俊夫、加藤公明といったこれまでの実践をたっぷりと振り返ることになるし、「歴史地理教育」あたりの雑誌をひたすら読み込む作業になるだろう。うまく時間をつくらないと…
2.
去年は担任をもって、「教師の役割」について実感を持って学べたように思う。「学級経営」「生徒指導」について、種々の教育書を読みながら試行錯誤しようと思う。「難しい」学校にいるわけだが、だからこそ学べることがたくさんある。ハードだが、「今日」に囚われるのではなく「明日・明後日」をまっすぐ見据えながら取り組んでいきたい。
3.
年末年始は、ふだん会えない人と会える絶好の機会。どんどん飲みに行こうと思っている。